第74話 Rita Lee  『Build Up』 (1970) Brasil

今夜の一曲 José(Joseph)


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 単なる小生意気な不良娘と思ってたけど、やることなすこと半端じゃない。軍政に反発して、サンパウロの水道施設にLSDをぶち込もうとしたって言うキナ臭い話もある。(真偽不明なり^^;)

 それでも彼女の逸材ぶりに、御大ジョアン・ジルベルト(João Gilberto)は自らヒタにアプローチして、TVショーで共演しているし、唐辛子の姉御エリス・ヘジーナ(Elis Regina)は彼女に敬意を表し、娘にマリア・ヒタ(Maria Rita)という名前までつけた。

 ヒタ・リー(Rita Lee)のソロ・デビュー作『ビルド・アップ』(Build Up)(1970)。カルト人気を誇るアルバムだが、当時のセールスはさっぱりだった。せいぜいジョルジュ・ムスタキ(Georges Moustaki)/ナラ・レオン(Nara Leão)による「José (Joseph)」のカバー・シングルが、そこそこ注目された程度だった。

 アルバムの中味はフレンチ・ポップスだったり、ミュージカルぽかったり、ビートルズをパロったり、ハワイアン飛び出したり、かと思えばタンゴのリズムが鳴り響いたりで、よくわかんない。それがまさに魅力か。(笑)。


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 ブラインド・テストしたらサンディ・ショー(Sandie Shaw)か、ブリジッド・バルドー(Brigitte Bardot)か、はたまたフランソワーズ・アルディ(Françoise Hardy )かって思う曲まである。

 オケのアレンジは、達人ホジェリオ・ドュプラーチ(Rogério Duprat)、プロデュースは当時のパートナーのアルナウド・バプティスタ(Arnaldo Baptista )で、コーディネータがマヌエル・バレムベム(Manoel Barembem)。

 マヌエルは、ガル・コスタ(Gal Costa)、カエターノ・ヴェローゾ(Caetano Veloso)、ジルベルト・ジル(Gilberto Gil)、ナラ・レオン(Nara Leão)、ジョルジュ・ベン(Jorge Ben)、シコ・バルケ(Chico Buarque )らのプロデュースを歴任する腕前。

 『今日は残りの人生最初の日』(Hoje O Primeiro Dia Do Resto Da Sua Vida)(1972)は、ヒタがオス・ムタンチス(Os Mutantes)脱退前夜に残したソロ第二作目だ。当初は、ムタンチスのアルバムとして考えていたらしい。しかし、レーベルとの折り合いがつかず、ヴォーカルをヒタに任せた上で、彼女のソロ作としてリリースされた。こいつがまた激レアで、$1000の値がついたりする。


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 タイミングとしては、『ボーレの国のムタンチスと流れ星たち』(Mutantes e Seus Cometas no País do Baurets)(May 1972)直後のリリース。レーベルとしては、1年たたずしてリリースを連投することは避けたかった。しかし、クリエイティヴな意欲に満ちていたセルジオとアルナウド兄弟にとって、そんな制約は煩わしいばかりだった。

 こうしてリリースされたのがヒタのセカンド・ソロ(Sept 1972)。日本盤のタイトルは『今日は残りの人生最初の日』。「なんじゃ、それ」って感じですよね。

 ところが、あるきっかけで、その意味するところが見えた。勿論、正解かどうかわかんないけど。

 英訳すると『Today is the first day of the rest of your life』となる。実は、これグリーティング・カードなどに印刷されてる有名な文句なんです。でも、本来は「薬物の依存患者に、再起を促すスローガン」だったようだ。


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 この言葉を最初に使ったのは、チャールズ・ディードリッヒ(Charles Dederich)というアメリカ人。チャールズは、1958年にカリフォルニアでヘロイン依存患者の救済機関Synanon(シナノン)を設立した人だ。ディードリッヒ自身について調べてみると、結構訳ありだったりするが、ここでは深く立ち入りません。

 スローガンが意味するところは、「過去を振り返らずに、今日を人生の新しい出発点にする」ことを呼びかけたもの。要するに「いつやり直しても遅すぎることはない」「一日一日を大切に生きよう」ということ。で、1960年代アメリカで流行した格言だ。アカデミー受賞の映画『アメリカン・ビューティー』(American Beauty)(1999)でも引用されている。

 ま、いずれにしても当時のオス・ムタンチスがクスリまみれだったことを考えると、あながちムシできない推測だと思うのだが、果たして・・・

 このソロ第二作のタイトル曲は、アブストラクトなSEで始まる。歌詞カード見ても、猥雑(わいざつ)なコトだけはわかるけど、意味があるようでないようで、ヒタの巧妙な企みが見えてこない。単に自分たちをパロったのか、それとも世相をシニカルに捉えたのか。

 ま、謎は謎ですね。


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Rita Lee - vocals
Arnaldo Baptista - Composer, Musical Direction, Producer
Sergio - bass guitar
Alexander Gordin - guitar
Diogenes - drums
Rogério Duprat - Arranger, Orchestral Arrangements
Manoel Barenbein - Project Coordinator

それでは、次回はメロキャン・ネタの最終回。<メロウ・キャンドル~光と影> と題して・・・


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第67話  Marisa Monte 『私のまわりの宇宙』 (Universo Ao Meu Redor) (2006) U.S.

今夜の一曲 「3つの小さな文字」 Tres Letrinhas


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 2008年8月24日、北京五輪の閉会式。ジミー・ペイジ(Jimmy Page)とレオナ・ルイス(Leona Lewis)が「胸いっぱいの愛を」(Whole Lotta Love)を歌い、いよいよロンドン五輪への期待が高まりました。

 オリンピックの閉会式には、スポーツの祭典ムードを盛り上げるため、次の開催国を代表するアーチストやミュージシャンが招待されます。

 2012年8月12日、ロンドン五輪の閉会式。次回五輪の開催地、リオデジャネイロ紹介のセクションに大きな喝采の花が咲きました。2012年ロンドン大会から2016年リオ大会へのバトンタッチ(Handover)を華々しく、というわけです。

 ステージを盛り立てた一人が、我がマリーザ・モンチ!彼女が歌ったのは「Bachianas Brasileiras(ブラジル風バッハ)」でした。そう考えると、マリーザ・モンチは名実ともに、ブラジリアン・コンテンポラリーを代表するディーバになったという感があります。


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 余談ですが、ロンドン五輪のオープニングにポール・マッカートニー(Paul McCartney)が「ヘイ・ジュード」で花を添え、会場は興奮の渦でした。開会式だけでなく、閉会式にも英国を代表するミュージシャンが続々登場。ブライアン・メイ(Brian May)やロジャー・テイラー(Roger Taylor)、ジョージ・マイケル(George Michael)などなど、見所満載でした。

 主催者側が、ケイト・ブッシュ(Kate Bush)やローリング・ストーンズ(Rolling Stones)にオファーを蹴られただの、レッド・ツェッペリン(Led Zeppelin)、エルトン・ジョン(Elton John)、デヴィッド・ボウイ(David Bowie)はどうしたんだ? だの、色んな憶測が流れましたね。

 ちなみに閉会式の大トリが誰だったか覚えていますか?最大の栄誉に選ばれたのはザ・フー(The Who)!
「Baba O'Riley」~「See Me, Feel Me」~「My Generation」のショート・メドレーに涙した人もいたのでは・・・!?


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 さてさて、マリーザ・モンチです。彼女はオペラの勉強をするために、19歳でイタリアに渡ります。ところが、マリア・カラス(Maria Callas)を目指していた彼女の心にさざ波が立ちました。自分の体に流れるブラジル人の血に気づいたとでも言うべきでしょうか。MPB(ブラジリアン・ポップ・ミュージック)に目覚めた彼女を見そめてEMIとの契約が成立します。

 マリーザの音楽性の懐の深さは、ライブ盤デビュー作『MM』(1989)の選曲にも、よく表れています。アルナウド・アントゥネス(Arnaldo Antunes)をオープニングに選び、ピノ・ダニエーレ(Pino Daniele)、オス・ムタンチス(Os Mutantes)、ジョージ・ガーシュウィン(George Gershwin)、マーヴィン・ゲイ(Marvin Gaye)、ルー・リード(Lou Reed)。アルバムはいきなりブラジリアン・ホット100でNo.1を獲得します。

 彼女のセカンド・アルバム『マイス』(Mais)(1991)は、アート・リンゼイ(Arto Lindsay)がプロデュースを快諾します。ローリー・アンダーソン(Laurie Anderson)、やジョン・ゾーン(John Zorn)、デヴィッド・バーン(David Byrne)、坂本龍一との共演も話題になりました。


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 グラミー賞歌手としてだけでなく、作曲・プロデュースと、まさに才気走る女性。今ではブラジリアン・ポップス(MPB)のみならず、マンギ・ビート(Mangue Beat)を取り入れたり、古典に新しい解釈を加えたりと、八面六臂の活躍ぶりです。

 今夜の一曲「3つの小さな文字」(Tres Letrinhas)は『私のまわりの宇宙』(Universo Ao Meu Redor)(2006)の収録曲です。同時発売の『私の中の無限』(Infinito Particular)(2006)のアレンジには、フィリップ・グラス(Philip Glass)、エウミール・デオダート(Eumir Deodato)、ジョアン・ドナート(Joao Donato)が絡んでいます。

 2011年には5年ぶりの新作『あなたが本当に知りたいこと』(O Que Voce Quer Saber De Verdade)(2011)をリリ-スして、ファンを(そして私を)喜ばせました。

 振り返れば、彼女はこれ迄二度来日の経歴があります。初来日の1992年は『マイス』のリリースに合わせたワールド・ツアーで東京、名古屋、大阪。20007年は『私のまわりの宇宙』のリリースに合わせたツアーの一環で、東京と名古屋。今更ながら行けば良かったと後悔しまくり。地元開催だったのにぃ(涙;)

 ということで、三度目の来日を願いつつ・・・(笑)





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 さて、次回の音楽夜話は、ブラジルから北欧、ノルウェイへと旅を続けましょうか。 

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第44話  Os Mutantes  『Jardim Eletrico』 (1971) Brasil

今夜の一曲  Tecnicolor


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 今から14年前でしょうか、ポリドールからオス・ムタンチス関連の日本盤が怒濤のようにリリースされたんですよ。恥ずかしながら、それで初めて彼らを知りました。楽器屋さんの店頭に置かれた小冊子には、ブラジルのロック・シーンの特集が組まれていて、食い入るように読みました。

 で、勿論(?)・・・全て購入しちゃいました。ヒタ・リー(Rita Lee)のソロや、トロピカリスモ(Tropicália / Tropicalismo)関連まで含めて、ごっそりと。何やってんですかね、わたくし。

  さて、ブラジリアン・サイケの旗頭とも言われるオス・ムタンチス。アルナウド・バプチスタ(Arnaldo Baptista)(key)、セルジオ・ヂアス(Sergio Dias)(g)の兄弟二人に、ヒタ・リー(vo,fl)を加えた三人を核に、盤石の体制を築いていきました。

 サイケ・ポップからプログレまで、カラフルで種々雑多な音楽性を貪欲に飲み込んだミュータント(ムタンチス)。カエターノ・ヴェローゾ(Caetano Veloso)や、ジルベルト・ジル(Gilberto Gil)らが主導した、当時の軍事政権に対するカウンター・カルチャーとも言える「トロピカリズモ運動」に色濃く関与する形で、実力をつけていきます。

 グループ名は、アルナウドとセルジオの二人が読んでいた、フランスのSF作家ステファン・ヴル(Stefan Wul)の小説にヒントを得ています。


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 そのタイトルは『La Mort Vivante』 (The Living Death)(1958)で、ポルトガル語訳の表題が『O Império dos Mutantes』(The Empire Of The Mutants)でした。フレンチ・プログレ愛好家には『Oms En Série』 (Oms by the Dozen, 1957; filmed as 『La Planète Sauvage / Fantastic Planet』 in 1973)で、お馴染みですね。


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 さて、今回取り上げた「テクニカラー」。この曲は本来、1970年11月にパリでレコーディングした『テクニカラー』に収録されるはずでした。『テクニカラー』は彼らのアンソロジー仕様で、既出曲の再録と新作の抱き合わせ盤。欧米での成功を狙って、多くの曲に英詩がつけられました。

 しかし、このアルバムは発売に至らず、お蔵入りになります。一説にはレコーディングの内容に彼らが納得いかなかったのが理由です。結局、1971年になって、その一部の曲だけが、4枚目『ジャルヂン・エレットリコ』(Jardim Elétrico)に収録される形でリリースされています。

 このアルバムは遅れてきたようなサイケ・アルバムですが、アナーキーで脳天気でぶっ飛んだ感があり、いかにもドラッグ・カルチャーの落とし子です。

 『テクニカラー』のオリジナル盤は、2000年になってようやく陽の目を見ます。曲中で歌われる、テクニカラー色の列車の窓から見える景色は、いかにもサイケデリックなんでしょうね。

 ザ・ビートルズの「Lucy In The Sky With Diamonds」の頭の文字をつなぎ合わされると「LSD」となる、というオモシロ話があります。ムタンチスも、リー(L)・セルヂオ(S)・ジアス(D)の三人の頭文字を合わせて「LSD」になるって話もあります。


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 1972年5月、5枚目『ボーレの国のムタンチスとその流れ星たち』(Mutantes e Seus Cometas no País do Baurets)リリース後、1972年9月に録音された、驚異の7分半越えのシングル曲(?)「Mande Um Abraço Pra Velha」もプログレ感満載で破天荒。

 その一方、ヒタはドラッグ漬けのアルナウドや、プログレ化するバンド・サウンドにストレスをため込んでいました。ミニムーグやメロトロンの扱い方がわからなくて馬鹿にされたこともシャクに触ってました。ヒタはバンドを脱退します。

 1973年にレコーディングされた『O A eo Z』は、ヒタが脱けた穴を埋めるべく、演奏面での凝ったアレンジで迫った渾身の一枚。英国のプログレへの憧憬がダイレクトに反映したアルバム。しかし、当然のように(?)レーベル側に拒否されてリリースされませんでした。陽の目を見たのは1992年。しかも700枚のみ。

 結局、当時の欧米のリスナーがブラジリアン・ミュージシャンに求めたのは、こうしたサウンドではなかったんです。ヒットするのは、セルジオ・メンデスのようなキラめくイージー・ポップなボッサ路線でした。

 現在も活発な活動ぶりが伝えられるオス・ムタンチス。こうして、彼らの過去に遡るタイム・ラインを追体験できる幸運に感謝したいものですね。


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Rita Lee / vocals, effects
Arnaldo Baptista / keyboards, vocals
Sergio Dias / guitars, vocals
Liminha / bass
Dinho Leme / drums

第74話 Rita Lee  『Build Up』 (1970) へ

テーマ : サイケデリック
ジャンル : 音楽

第28話  Chico Science & Nação Zumbi 『CSNZ』(1998) / 『Afrociberdellia』 (1996) Brasil

今夜の一曲  Amor De Muito





 30歳にして自動車事故で亡くなったシコ・サイエンス(Chico Science)。あまりに短い音楽人生。他界したミュージシャンを殊更に美化するつもりは毛頭ありませんが、良いものは良いですね。

 ブラジル音楽と聞いて、サンバやボサノヴァ、MPBを思い浮かべる人は多いでしょう。ちなみにMPBというのは、ムジカ・ポプラール・ブラジレイラ(Música Popular Brasileira)の略です。

 これは、英米のロックの影響を受けたプラジリアン・ポップスで、その起源はトロピカリア(Tropicália)の時代に遡ります。代表的なアーチストはカエターノ・ヴェローゾやジルベルト・ジル、ガル・コスタやエリス・レジーナ、ミルトン・ナシメントなどで、カウンター・カルチャーにどっぷり浸かっていました。

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 現在のブラジリアン・ロックシーンは、他ジャンルと活発に融合して多彩です。伝統音楽のみならず、ジャズ、ソウル、ロック、エレクトロニクス、パンク、ヘヴィメタ、レゲエ、ダブ、ヒップホップなど。

 その代表的な存在がシコ・サイエンス(本名フランシスコ・デ・アシス・フランサ/Francisco de Assis França)& ナサォン・ズンビ。彼はマンギ・ビート (Mangue Beat) の創始者であり、その旗頭と言える存在です。

 彼が実践したのは、出身地のレシーフェ(Recife)の伝統音楽である「マラカトゥ」(Maracatu)をベースに、意欲的に異種のジャンルとの融合を試みたことでしょう。その超雑食で凶暴なサウンドは類をみないユニークさ。

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 もともとブラジルの北東部(ノルデスチ)はアフリカ系住民が多く、レシフェ(ペルナンブーコ州の州都)も例外ではありません。思い切りアフロ&ラテンでプリミティヴなリズムに乗って、Chicoの歌唱が炸裂する様は圧巻。

 告白すると、曲によっては守備範囲外のジャンルとのハイブリッドもあって、こっそりスキップボタンを押してます。それを割り引いたとしても、アルバムに満ちあふれる渦巻くエネルギーはすさまじい。

 1994年夏NYのセントラル・パークでは、ジルベルト・ジルと共演。1995年にはモントルー・ジャズ・フェスにも出場するなど、勢いに乗ります。

 そんな中、今回取り上げたのは「Amor de Muito」。オリジナルは1996年の2nd『Afrociberdellia』収録。これがオリジナルのサウンドです。



 この曲は冒頭で紹介したように、Chicoの追悼コンピ盤『CSNZ』にリミックス・ヴァージョンが公開されています。この曲の幽玄なフルートと土着のリズムの呪術的な響きが脳裏を巡って離れません。

 『CSNZ』のリミックスのクレジットには、アート・リンゼイ(Art Lindsay)やデヴィッド・バーン(David Byrn)、マッド・プロフェッサー(Mad Professor)らの名前があります。Chicoがいかに注目されていたかがわかります。

 そして「Amor de Muito」のリミックスに関与したのが、マリオ・カルダート(Mario Caldato Jr.)でした。私にとってマリオのイメージは、単にビースティ・ボーイズ(Beastie Boys)のプロデューサーでした。

 ところが、調べてみると、彼はビョーク(Björk)やヨーコ・オノ(Yoko Ono)、マリーザ・モンチ(Marisa Monte)、バベル・ジルベルト(Bebel Gilberto)と言ったアーチストのプロデューサーやエンジニアとして活躍しています。これは、新鮮な驚きでした。

 1997年2月、人気絶頂のさなか、レシーフェの公演に向かう途中で命を落としたChico Science。早すぎるカリスマの死を惜しみつつ、改めてこの曲を聴いています。胸に去来するこの思い。これこそ、まさにサウダーヂ(Saudade)なのかも知れませんね。

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Chico Science & Nação Zumb 
Stuart Wylen / Guitar, Bass, Flute, Synthesizer
Danny Frankel / Percussion
Mario Caldato / Remix



テーマ : 洋楽ロック
ジャンル : 音楽

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ticca

Author:ticca
 音楽ネタを中心とした雑記帳です。

 60年代後半から70年代にかけてのワールドワイドなロック、ポップス、プログレ、アシッド、サイケ、フォーク、ジャズロック、ジャズなどの話題を主に、ひっそりメモってます。

 それぞれの記事はその時々のフィーリングで書いていますが、基本形はある曲をきっかけに感じた雑感が題材になっています。

 私は単なる音楽愛好家ですので、記事に関しては、思い込みや勘違いがたっぷりあることかと思います。その点はご容赦願います。もし、お気づきの点があれば、ご指摘下さい。

 個人的に思い入れのあるものを主に綴っていますので、マイナーかつ気まぐれなセレクション、お許し下さい。

 それでは、今宵の音楽夜話におつきあい下さい。

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