第147話 Eric Dolphy 『Out To Lunch』 アウト・トゥ・ランチ (1964)

今夜の一曲  Hat And Beard (ハット・アンド・ビアード)

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ジャジーな夜、第五弾、「E」のコラムです。


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Elizabeth Shepherd - Lonely House
エリザベス・シェパードの存在はピーター・アップルヤード(Peter Appleyard)の『ソフィスティケイティッド・レディーズ』(Sophisticated Ladies)で知った。彼女のルーツがどうであれ、後追いでジャズに触れたとは思えない凄みがある。

Elizabeth Shepherd - Poinciana

コンサバを自負する自分にとっては(ホントか!?)、これがまたしっくりハマる。エリザベス・シェパードのヴォーカルが冴えるピアノトリオによるジャズ・スタンダーズ集。ここでは彼女はひたすらシンプルに迫る。

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Elizabeth Shepherd - Pourquois Tu Vis
シンプルがゆえにそれだけ曲の本質がますますくっきり際立ち、清々しい。『リワインド』(Rewind)に収められた曲は、どれも原曲のうまみが自然とにじみ出す。心の琴線に触れる思い。『Rewind』(2012)


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Etta James - At Last !
エタ・ジェームスの大ファンというわけではないけど、これは素晴らしい。恋を手にした女性の胸のときめきを綴る名唱。1961年R&Bチャート第二位。個人的には、チェス・レコード(Chess Records)時代がやはり彼女の黄金期。

Etta James - A Sunday Kind of Love
エタ・ジェームスの芸名は、本名ジェームセッタ・ホーキンス(Jamesetta Hawkins)のアナグラム。輝かしいキャリアの反面、ヘロイン中毒、肥満、認知症、白血病・・・大きな浮沈を駆け抜けたディーヴァ(1938 - 2012)。『At Last!』(1960)

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Eugen Cicero - Solfeggio in C minor
オイゲン・キケロ。ジャズが大きく変容していく時代にあって、彼が偏見の目で捉えられたのも無理からぬことだ。しかし、クラシックのジャズ化・・・この分野では間違いなく彼は第一人者だった。

Eugen Cicero - Liebestraum
ジャズなのかイージーリスニングなのかという論争は意味を持たないだろう。ジャック・ルーシェ(Jacques Loussier)と並び、彼はこの領域に大きな地歩を築いた。ルーマニア出身のピアニスト。

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Eric Reed - NYC Medley
エリック・リード。1970年生まれの米国ジャズ・ピアニスト。黒っぽい豪快な音から繊細で陰影の深い音まで、ソツなく弾きこなす才人。MoJazzの頃も味があるが、近年ますます円熟味を増した感がある。

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Eric Dolphy - Hat and Beard
エリック・ドルフィーによるセロニアス・モンクへのオマージュで始まる『アウト・トゥ・ランチ』これを手に入れた学生時代、越えてはならない一線を越えた背徳者の思いだった。ミンガスのグループとして活動する中、ベルリンで客死したエリック・ドルフィー。本来、彼が極めることになっただろう頂きは、一体どこだったのか。『Out To Lunch』(1964)

Eric Dolphy - You Don't Know What Love Is
エリック・ドルフィーの思索を極めた逸品。この曲との付き合いも私が学生だった頃からなので長い長い(笑)。これと並んで、チャールズ・ミンガス(Charles Mingus)の『Town Hall Concert』(1964)に収録された「Praying With Eric」あたりは、私の無人島レコードの一枚。『Last Date』(1964)

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Eric Dolphy – bass clarinet, flute, alto saxophone
Freddie Hubbard – trumpet
Bobby Hutcherson – vibraphone
Richard Davis – bass
Tony Williams – drums








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第144話  The Dave Brubeck Quartet  デイヴ・ブルーベック 『Time Out』 (1959)

今夜の一曲  Blue Rondo à la Turk

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ジャジーな夜、第四弾、「D」のコラムです。

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Danny Gatton & Joey DeFrancesco - Kindred Spirits
ダニー・ガットンとジョーイ・デフランチェスコの連名作『Relentless』には人をとりこにする魅力がある。テレキャスとハモンドB3の絶妙なコラボに息を飲む。(1994)

Danny Gatton & Joey DeFrancesco - The Pits
ダニーがリトル・フィート(Little Feat)への参加を要請されていた、という噂も納得。言わずと知れたテレキャスの達人。スリーヴの表がテレキャスで裏がB3ってのもストレートなメッセージだね。(1994)


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Dave Brubeck Quartet - Blue Rondo à la Turk
「テイク・ファイヴ」(Take Five)のポール・デズモンド(Paul Desmond )による甘いメロディでブルーベック・スクールに入門した私を驚かせたのがこれだった。なるほど、キース・エマーソン(Keith Emerson)のナイス(The Nice)の原点はやはりこれだ、と再確認したものだ。(1959)

Dave Brubeck Quartet - Far More Blue
『Time Further Out』は変拍子ジャズの展示場。3+2だろうが、2+2+2+3だろうが、小難しい事はさておき、舞うように歌うデズモンドのアルト・サックス、軽やかにスイングするブルーベックのピアノは最高だ。(1961)


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Dave Brubeck Trio - Indiana 
2003年に発売された『Essential Dave Brubeck』は全31曲、CD二枚組の集大成だった。そのCD1のオープニングが「インディアナ」。リリカルでスインギーなメロディが脳裏から離れない。(1950)

Dave Brubeck Trio - Laura
「Indiana」は1950年にファンタジー(Fantasy)からシングル発売された。そのB面がこれ。現代音楽の影響か、不協和音のブロック・コードにはたまげた。これはまさにジャズ界のバルトーク(Bartók)。(1950)


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Dinah Washington - What Difference A Day Makes
「縁は異なもの」ダイナ・ワシントンの名唱。ゴスペル、R&B、ジャズ、トラッド・ポップ・・・彼女の魔法にかかれば、いかなるジャンルの歌も心に染みいる名曲に仕上がる。(1959)

Dinah Washington with Quincy Jones Octet - Blue Gardenia
エマーシー(EmArcy)やマーキュリー(Mercury)に残した作品群はいずれも佳曲ぞろい。スキャットものでもない、シャウトものでもない、そんな彼女のスタイル。私は好きだ。(1959)


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Dominick Farinacci - Bibo No Aozora 
ドミニク・ファリナッチ。1983年生まれの新進気鋭の米国トランペッター。若き日の彼がドラマーのオーディションに落ちたのは不幸中の幸いだった(笑)。あのクインシー・ジョーンズ(Quincy Jones)をして "This kid is 360 degree!" と驚かせた男。日本でも根強い人気を誇る。(2009)


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Donald Byrd - Shangri-La 
1961年、ブルーノート(Blue Note Records)に残した作品。バード流のハードバップのショーケース。ペッパー・アダムス(Pepper Adams)のバリトン・サックスやハービー・ハンコック(Herbie Hancock)のファンキーなピアノがたまんない。(1961)

Duke Pearson - Wahoo 
フロントに三管を配したセクステトット。所帯が大きくなればなるほど、アレンジ能力が問われるが、ピアソンはそれを難なくこなしている。クランショウ&ローカー(Cranshoaw & Roker)のリズム陣をバックにピアソン(piano)+バード・ヘンダーソン・スポルディング(Pearson + Byrd - Henderson - Spaulding )の布陣は強烈。(1964)

では、みなさん、おやすみなさい。


Dave Brubeck – piano
Paul Desmond – alto saxophone
Eugene Wright – bass
Joe Morello – drums


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第139話 Blue Mitchell 『The Thing To Do ‎』 (1965)

今夜の一曲 Chick's Tune

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さてさて、ジャジーな夜、第二弾、「B」のコラムです。


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Big John Patton - The Yodel
(ビッグ)ジョン・パットン。不器用ながらもセンスの良さの際立つ諸作をブルー・ノートに残した米国のジャズ・オルガニスト。グラント・グリーン(Grant Green)のギターとは最高に相性が良い。

Big John Patton - Soul Woman
ボビー・ハッチャーソン(Bobby Hutcherson)をヴァイヴに迎えた『Let 'em Roll』(1965)をイチオシしたい所ですが、この『Got a Good Thing Goin'』(1966)も捨てがたいねー。

Big John Patton - Ain't That Peculiar
A面③のこの曲はマーヴィン・ゲイ(Marvin Gaye)のカヴァー曲。どこまでも黒く、どこまでもソウルフルに。パットンは米国ミズーリ州生まれ。1935年生、2002年没。

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Blue Mitchell - Chick's Tune
米国人トランペット奏者。ハード・バップ時代を代表するトランペッターだった。リバーサイド(Riverside)、ブルーノート(Blue Note)、メインストリーム(Mainstream)等に佳作を残した。70年代には活動の幅を広げ、ジョン・メイオール(John Mayall)とのコラボでも活躍した。Chickというのは勿論・・・!

Blue Mitchell Quartet - I'll Close My Eyes
ウィントン・ケリー(Wynton Kelly)(p)のポイント高し。ミッチェルは1964年、自身のクインテットに、当時新人だったチック・コリア(Chick Corea)を起用して気を吐いた。『The Thing To Do』(1965)


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Brian Bennett - Children of Devon
クイーン(Queen)のロジャー・テイラー(Roger Taylor)にとって、ドラム・ヒーローが2人いる。1人はロバート・ワイアット(Robert Wyatt)。もう1人がこの人、ブライアン・ベネット。シャドウズ(The Shadows)出身。映画音楽、TVシリーズのスコアもお手の物。

Brian Bennett - Nuplex
これをジャズと呼ぶにはカテ違いかもしれないけれど、ジャズもベネットの素養の一部でしょう。ちなみにこれ、伝説的なKPMの1000シリーズのミュージック・ライブラリーの一枚なんです。『James Clark / Brian Bennett ‎– Suspended Woodwind』etc.(1974)


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Bud Powell - Time Waits
チャーリー・パーカー(Charlie Parker Jr.)とバド・パウエル(Bud Powell)を真の天才と評したのはマイルス・デイヴィス(Miles Davis)だったでしょうか。汲めども尽きぬ奔放なイマジネーションと神がかり的な演奏。どこを切り取っても絵になる。『Time Waits; The Amazing Bud Powell Vol.4』(1958)

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Bud Powell Trio - I Should Care
ジャズ・ピアノの世界にビバップのイディオムを導入。p, b, dsのピアノ・トリオのフォーマットを持ち込んだのはバド。ゆえにモダン・ジャズ・ピアノの父として敬愛を受けているわけですね。『The Bud Powell Trio』(1947)

ではでは。みなさん、よい夢を・・・

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第137話 Ahmad Jamal 『The Awakening』 (1970)

今夜の一曲 I Love Music

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久々にジャジーな夜を。もともとこれは短文投稿サイトにつぶやいたものを、アルファベティカルに並べ直したものです。おまけに私の嗜好どっぷりですし。ま、たまにはこんな夜にお付き合いくださいませ~(笑)

まずはAから。


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Ahmad Jamal - I Love Music:
ジャマルもいよいよフリー化したのかと思ったが、彼はフリーの敷居をまたぐことなく、独自の音宇宙に遊んだ。予想を裏切るスリリングな展開。それとは裏腹の孤高のリリシズムを感じる作品。

Ahmad Jamal - The Awakening
言うまでもなく1950年代のジャマルは素晴らしいのだが、この1970年作にはぶっ飛んだ。いくつものフラグメントが次々と流れるように展開しながらコラージュのような輝きを見せる。

Ahmad Jamal - Dolphin Dance
こういう曲を聴くと、マイルスがなぜアーマッド・ジャマルを手に入れたかったかが、よくわかる。ハンコック作のジャマル流の解釈は、とびっきりイマジナティヴだ。『The Awakening』(1970) Impulse


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Andrew Hill - Black Monday
難解だとか理解しがたい空気感と揶揄(やゆ)される事も多いアンドリュー・ヒル。別に理解しようとする必要なんてないと思う。やなものはやだし、感性に触れれば無条件に受け入れれば良い。ボビー・ハッチャーソン(Bobby Hutcherson)が良い味。『Andrew !!!』(1968)Blue Note


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Art Pepper - You Go to My Head
ジャック・シェルドン(Jack Sheldon)との二管のクインテット。麻薬渦に揉まれて刑務所から出所したアート・ペッパーをウェスト・コーストの腕達者が迎えた。tpとalto saxのコントラストがまぶしい。『The Return of Art Pepper』(1957)Jazz West


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Arturo Sandoval - Danzón De Los 100 Años
キューバ出身トランペット奏者。ハイノート・トランペッタとしての腕は過激。高音域の速いパッセージのソロが圧倒的。ビバップ、サルサ、クラシック何でもこいって感じ。そんな彼のこんなキュートな曲。『Un Siglo De Pasión』(2013) E35


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Art Tatum - Elegie
ラフマニノフはアート・テイタムを評して「歴史上のピアニストの中で最高だ」と言った。また、ホロヴィッツは「アートがクラシックの演奏家であれば、私たちの仕事がなくなってしまう」と驚愕した。『Piano Solos』(1940) Decca


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最後はラフマニノフついでにおまけってことで ^^;

Rachmaninoff - Piano Concerto No. 2, Op. 18 I. Moderato
ラフマニノフのピアノ協奏曲第二番。ルビンシュタインの名演。こいつはピアノ協奏曲としては私的にはチャイ子さんの一番と双璧。 『Arthur Rubinstein with Chicago Symphony Orchestra, conducted by Fritz Reiner』(1956) RCA/BMG


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第86話  Bill Evans Trio 『Waltz For Debby』 (1961) U.S.

今夜の一曲 My Foolish Heart (愚かなり我が心)

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 ビル・エヴァンスが左利きとは知らなかった。もっとも「左利きだからやはり〇〇なんだ」という結論ありきではありません。

 以前、エロール・ガーナー(Erroll Garner)の「ミスティ」(Misty)を取り上げた時、「ガーナーが左利きである事が独特の奏法を産んだ」という指摘を紹介しました。ビル・エヴァンスのジャズ・ピアニストとしての評価にも、彼が左利きであった事に触れたものが見受けられます。

 一般的に、左利きの人は右脳が発達していると言われます。右脳はいわゆる「芸術脳」で、五感を含めて物事を感覚的に捉えることを得意とするため、左利きの人は、音楽や絵画・空間の認知などの刺激に反応しやすいようです。

 一方、右利きの人は左脳が発達していると言われます。左脳は論理脳で、言語や解析などを得意とします。しかし、これをもって全ての人間の活動をくくるのは無謀であって、先入観や偏見に結びつきかねない発想でしょう。


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 左利きの人は全人口の約1割と言われ、彼らは右利きの文化に適応しようとするので、右手を使う頻度も多くなります。それで脳幹が発達し、器用さに結びつくと指摘する識者もいます。その一方でこうした仮説を否定する学説が存在するのも確か。

 そしてまた、こうした右脳-左脳という対立概念で人間の思考や行動を分類すること自体がナンセンスだ、という意見すらある。いずれにせよ、芸術・文化のカテゴリーにおいて、天才と目される人物が左利きだったりすると、いきおいその事実だけがクローズアップされるのも確かですね。

 それでは、左利きの天才肌のアーチストと言うと、どんな人を思い浮かべますか。ちょっと調べてみるだけで、膨大な偉人たちが検索エンジンにヒットします。

 マッコイ・タイナ-、ウィントン・マルサリス、ボブ・ディラン、ジミ・ヘンドリクス、ポール・マッカートニー、パガニーニ、ベートーベン、ラフマニノフ、ショパン、モーツァルト、シューマン、プロコフィエフ、ジョン・セバスチャン・バッハ、ラヴェル、ドビュッシー、グレン・グールド、ピカソ、ミケランジェロ、ダ・ヴィンチ、アレキサンダー大王、ナポレオン、ジャンヌ・ダルク、ニュートン・・・そして勿論、我がビル・エヴァンス。


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 けれども、偉業を成した人物の中で左利きの人物を挙げてみた・・・という程度の事であって、左利きの人に天才肌の人物が多いという結論ではないんですけどね。

 さて、エヴァンスの「My Foolish Heart」は『Waltz For Debby』(1961)収録曲です。第一期トリオのメンバーはスコット・ラファロ(Scott LaFaro)(b)、ポール・モチアン(Paul Motian)(ds)。

 エヴァンスはマイルス・デイビスのグループを脱退後、自ら率いるトリオにふさわしいクリエイティブな音を求めていました。そんな中、彼が出会った天才肌のベーシストがラファロ。

 ラファロが持ち込んだベースの概念は、単にリズム隊の一員としてリズムをキープするのみならず、ドラムスやピアノとのインター・プレイを通じて、ジャズの新しい地平を開こうとするものでした。エヴァンスは、ラファロによって活性化され、トリオとしてのダイナミズムを得たとも言えます。


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 それだけの才能に溢れていたからこそ、「My Foolish Heart」のようなスタンダードを演らせても、饒舌になりすぎず、選りすぐった音で聴く者の心を揺さぶるのでしょう。

 悲しいことに、ラファロはヴィレッジ・ヴァンガード公演の最終日(1961年6月25日)の11日後(7月6日)、25歳の若さで交通事故死します。

※最終日の公演はマチネ2回、夜に3回の計5セット。これがライヴ・レコーディングされた。
※7月6日1:45A.M.。友人宅からの帰路、ラファロの乗ったクライスラーはR20で路傍の大木に激突、即死。
※ヴィレッジ・ヴァンガード公演は『Sunday At The Village Vanguard』『Waltz For Debby』の二枚のアルバムとなった。
※アルバムが捉えているのはトリオの演奏だけではない。アルコールが入ったグラスが鳴る音、客席の話し声や騒音、そしてそれら全てがあの音楽に必要なサウンドだった。<参考;『ビル・エヴァンスについてのいくつかの事柄』中山康樹(河出書房新書)>

 ファンのみならず、エヴァンスの心痛はいかほどだったろう。しばらくはピアノに触れる事もなかったそうです。魂の抜けたような日々の後、気を取り直して再スタート。


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 ここに紹介する動画は、1965年3月、第二期ビル・エヴァンス・トリオのJazz 625(Humphrey Lyttelton)公演。ラファロを継いだベーシストはオリン・キープニューズ(Orrin Keepnews)紹介のチャック・イスラエルズ(Chuck Israels)、ドラムスがラリー・バンカー(Larry Bunker)。なかなか濃厚な演奏が楽しめます。

 エヴァンスは、あたかも新しいインスピレーションを得たかのように、オリジナル・レコーディングを越える勢いの好演に終始します。エヴァンスの名演を引き立てるチャックの清廉なベース・ラインも、ラリーの妖艶なブラシ・ワークも心に染み入りますね。


Bill Evans - piano
Scott LaFaro - bass
Paul Motian - drums



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第85話  Bill Evans Trio 『Portrait In Jazz』 (1959) U.S.

今夜の一曲 Blue In Green


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 学生時代に録りためたカセット・テープ(死語?)を取り出してみて、思わず苦笑いしてしまった。写真のようにA面がウィントン・ケリー(Wynton Kelly)の『ケリー・ブルー』(Kelly Blue)(1959)、B面がビル・エヴァンスの『ポートレイト・イン・ジャズ』(1959)だったからだ。エヴァンスにしてみれば、どうしてケリーの方がA面なのだ!と怒り心頭だろう。


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 1959年3月2日、ビル・エヴァンスはマイルス・デイヴィス(Miles Davis)に呼ばれてセッションに参加した。ところが、驚いたことに、自分以外にピアニストがもう一人いたという。それがウィントン・ケリーだった。マイルスは曲によって二人を使い分けようとしたのだが、それをエヴァンスにもケリーにも伝えてはいなかった。

 しかも、エヴァンスの方が先にスタジオに着いていたにも関わらず、マイルスが最初の曲に起用したのはケリーの方だった。そして、ケリーがスタジオを去った後、ようやくエヴァンスを迎えての録音が始まったと言う。
※この日、ケリーは「Freddie Freeloader」を、エヴァンスは「So What」「Blue In Green」を録音した。

 これがあの歴史に残るマイルスの『Kind Of Blue』(1959)セッションの初日だった。ところで、何故マイルスは「Freddie Freeloader」においてエヴァンスを起用しなかったのか・・・どうやらマイルスは、エヴァンスの演奏がブルージーな曲にはそぐわない、と踏んでいた節がある。

 キャノンボール・アダレイ(Cannonball Adderley)の証言によれば、「マイルスはエヴァンスを迎えてから、ハードなアプローチをソフトに変えた」「エヴァンスは他の部分では素晴らしかったが、ハードな演奏は無理だった」と手厳しい。


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 エヴァンス自身の回想によると「ポール・チェンバース(Paul Chambers)やジミー・コブ(Jimmy Cobb)は感情を抑えて演奏せねばならず、よく苛立っていた」らしい。

 勿論、エヴァンスの演奏がスイングしないわけではない。だが、よりスインギーなグルーヴを求めて、マイルスはケリーを起用した。マイルスが求めていたのは、エヴァンス流のスイング感ではなく、よりスインギーなサウンドだった・・・この日は、エヴァンスにとって、屈辱感にまみれた日となった。

 だが、忘れてはならないのは、『Kind Of Blue』発売(1959年8月17日)の4ヶ月後、エヴァンスはあの傑作『Portrait In Jazz』を録音する(1959年12月28日)。本作はエヴァンスのリヴァーサイド(Riverside Records)からの第3作。ここで初めてジャケットに"TRIO"の文字が踊った。どうやらこのクレジットをプロデューサーのオリン・キープニューズ(Orrin Keepnews)に所望したのは、エヴァンス自身のようだ。

 自ら書いたライナー・ノーツには、「三人の音楽」であることを強調したかった、とある。リード楽器としてのピアノを支えるリズム・セクションという概念を打ち破り、互いのプレイのダイアログを大切にする手法を導入する。


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 わずか数時間のセッション。しかもギャラは三人でわずか250ドル程度。そのアルバムがモダン・ジャズを代表する傑作となったのは歴史の皮肉か。

 当時のギャラはその程度のもので、マイルスの『Kind Of Blue』ですら、リーダーのマイルスが129ドル36セント、キャノンボール・アダレイ、ジョン・コルトレーン、ウィントン・ケリー、ビル・エヴァンスらが一律64ドル67セント。ポール・チェンバースとジミー・コブは、楽器の運搬費用として2ドル上乗せされて66ドル67セントだったと言う。

 ヴィレッジ・ヴァンガード(Village Vanguard)に出演するミュージシャンのギャラも、よほど有名なミュージシャンでない限り、一人あたり毎晩3~4回のステージで、たった10ドルというありさまだった。(1950年代後期から1960年代初頭)
※参考;『ビル・エヴァンスについてのいくつかの事柄』中山康樹(河出書房新社)

 もともとジャズの世界では地位の低かったピアノ・トリオ。ジャズ・クラブでトランペットやサックスの火の出るような演奏の合間に、観客が火照った身体を冷ますだけの役割だったカクテル・ピアノ・サウンド。それが大きく変貌していくのはこれからだった。





Bill Evans – piano
Scott LaFaro – bass
Paul Motian – drums

Rolling Stone誌電子版によると、本作をプロデュースしたオリン・キープニューズ氏が2015年3月1日、カリフォルニア州の自宅で逝去された。キープニューズ氏はリヴァーサイドの創始者の一人で、音楽プロデューサー。R.I.P.

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第49話  Erroll Garner 『Misty』(1954)US

今夜の一曲  Misty





 エロール・ガーナー。米国のジャズ・ピアニスト。生涯、数多くの作品を残しています。ほとんど計画もないままに一晩でアルバム三枚を完成させ、しかもそれがファースト・テイクだった、という逸話も残っています。

 「ミスティ」は、これがオリジナルで、1954年録音。1957年にオーケストラを交えて再録しています。この曲が神格化されたのは、ジョニー・バーク(Johnny Burke)が詩を与え、ジョニー・マティス(Johnny Mathis,)が歌ってからでしょう。


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 「ミスティ」に先立つ1947年の時点で、チャーリー・パーカー(Charlie Parker)をCool Blues Sessionで支えたというので、当時既に、ガーナーの才能はお墨付きだったのでしょう。

 この曲は、ガーナーがニューヨークからシカゴに向かう飛行機から見た霧にインスパイアされた曲。バークはこれをラヴ・ソングに昇華することで、不滅のスタンダード・ナンバーに変えたのです。


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 「ミスティ」で忘れられないのは、クリント・イーストウッド(Clint Eastwood)の処女監督作、『恐怖のメロディ』(1971)です。映画の中で、ラジオ曲DJのデイヴ(Clint Eastwood)に執拗に迫るのがイヴリン(Jessica Walter)でした。この恐ろしいサイコ・スリラーで使われた、あまりに甘美な「ミスティ」のメロディが耳について離れません。


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 さて、ガーナーは独学でピアノを学んだそうですが、それが独自のスタイルを作り上げる要因となったのでしょうか。楽譜が読めなかったとも言われますが、それだけ優れた音感に恵まれていたという事なのでしょう。

 ジャストなリズムを外す絶妙な奏法も話題になりました。このビハインド・ザ・ビートと呼ばれる独特のリズムが生み出す素晴らしいスウィング感。これは彼が「左利き」である事と関連がある、と指摘する人がいます。


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 確かに、優れたミュージシャンの中には左利きの人がいますね。音楽脳とか芸術脳と呼ばれる「右脳」が発達している事に相関がある、という説もありますが、ホントのところはどうなんでしょうか。

 また、後日、追記として関連記事をリンクしてみたいと思います。


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第29話  Chick Corea   『Return To Forever』  (1972) US

今夜の一曲  Sometime Ago / La Fiesta


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 初めて聞いたのは学生時代。かれこれ四半世紀。なのに、色あせない魅力を感じます。印象的なスリーブ・デザインそのものの透明度の中、チックがファレルが静かに熱く燃え上がり、心地よい緊張感を演出していきます。

 チック・コリア(Chick Corea)のel-pのみならず、ジョー・ファレル(Joe Farrel)のflやsaxが絶妙。非の打ち所のないリズムセクション。粘っこさと軽妙さで勝負するスタンリー・クラーク(Stanley Clarke)のb。弾けるように躍動するアイアート・モレイラ(Airto Moreira)のds。ミスティックなフローラ・プリム(Flora Purim)のvoice。どこを切り取っても絵になります。

 1968年、ハービー・ハンコックがマイルス・デイヴィスの黄金のクインテットから離脱します。チックはその後任として、マイルスのコンボに参加。二曲のみながら『キリマンジャロの娘』(1968)に最初の足跡を残しました。

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 マイルスにRMIやフェンダー・ローズ(Fender Rhodes)を強要された当初、チックは自分の追究すべき音が見つからず、試行錯誤に苦しみました。当時は、きっとまだローズをどう活かすかが、見えていなかったのでしょう。いずれにせよ、チックは1968年から1970年のエレクトリック・ジャズを模索するMiles Schoolで多くを学びました。

 その後の活動においても、チックはCircleでの活動は楽しかったようですが、前衛ジャズでは所詮、金が稼げないことがわかっていたようです。

 彼が見つけた答はこれでした。難解さとは無縁の、明るく静謐な、それでいて熱いライト・ジャズ。ラテン・テイスト入ったサウンドは、軽やかで伸びやかで、生命の脈動を感じます。そんなサウンドには、ローズ・ピアノが見事に溶け合うことを知ったのでしょう。チックはあれほど嫌だったローズを、完全に自分のものにしたようです。

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 アルバム通して完璧に整合感あふれるサウンド・メイキングに徹しているかと言えば、そうでもなく、フリー・フォームに突入する直前で踏みとどまっていて大人を感じます。アコースティック感覚満載なのに、あれだけローズの存在感があるのも不思議。

 このアルバムを理解する上で、実は避けて通れないのが作詞を提供している詩人ネヴィル・ポッター(Neville Potter)の存在です。ネヴィルはサイエントロジー(Scientology)の信者でした。チックが前衛ジャズのCircleを捨てて、わかりやすいRTFのサウンド構想を得たのも、実はサイエントロジーの信仰からでした。

 信仰で人がどう変わるのか、それは私のような宗教に無頓着な人間には計り知れないことのように感じます。ただ、音楽に限らず、アーチストというのは、表現者なので、作品を通じてそのアーチストの世界観が立ち現れることは稀なことではありません。

 ただ、ミュージシャンに限って振り返ってみても、宗教によって世界観が広がり、新しい価値観がそのアーチストの創造力をプラスの方向に向けることばかりではなかったようにも思います。それが真逆のベクトルを持つと、表現者としての自分の首を絞めてしまう例も少なくありませんでした。

 信仰であろうとカルト的な思想であろうと、その呪縛に足を絡め取られ、最悪なケースに至っては、自らの命をあやめてしまった例も数限りなくあります。

 アーチストではないかもしれませんが、よく知られているように、スティーブ・ジョブズ(Steve Jobs)も宗教によって自らのあり方を見つめ直して成功した人と言えます。
 
 ジョブスは、仏教や禅を通して新しい人生観と世界観を身につけたそうです。彼は学生時代、カリフォルニアの禅道場やZEN・センターに通いつめたそうです。

 ジョブズは禅道場で、日本の禅師から指導を受けました。彼は、曹洞宗の僧侶、乙川弘文(おとかわこうぶん)さんと出会って師事したそうです。奥さん(ローリン・パウエルさん)と結婚する時にも、仏教式で執り行い、乙川師がその式師を務めたほどです。

 ジョブズは、出家して日本に渡り、永平寺で修行したいと願いました。けれども、禅師はそれを思いとどまらせたそうです。そして、ジョブズが強い関心を抱いていた「ものづくり」の世界で仕事をしながら、禅の教えと関わる生き方をするよう勧めたそうです。

 ジョブズの業績の評価は人それぞれでしょう。けれども、彼の場合、宗教によって自己肯定感と社会貢献への自覚が芽生えたとするならば、それはそれで、人と宗教の関わり方としては望ましいものであったのかも知れません。

 チック・コリアも、リターン・トゥ・フォーエヴァーを書いた時点ではサイエントロジーとの相性は抜群だったのでしょう。

 さて、こうして振り返ってみると、チック・コリアは、前衛さとスペイシーなジャズ・フュージョンを追い求めるWEATHER REPORTやMAHAVISHNU ORCHESTRAとは、全く質感の違う世界を構築しました。

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 マイルス・スクール卒業後、文字通り初めて重要なマイル・ストーンを築いたとも言える『Return To Forever』。存在すること自体が奇跡のような名盤。こうして彼らのサウンドを聴くことが出来る幸運を、心から噛みしめたいものです。


Chick Corea / piano, electric piano
Joe Farrell / flute, soprano sax, tenor sax
Stanley Clarke / electric bass, string bass, guitar
Airto Moreira / drums, percussion
Flora Purim / vocals, percussion


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第22話  Barbara Dennerlein - Very Hot Stuff (1992) Germany

今夜の一曲   Very Hot Stuff (Vienna, 1992)




 バーバラ・ダンナレイン(Barbara Dennerlein)。1964年、ドイツ生まれのジャズ・オルガニスト。15歳で地元のジャズ・クラブで定期的に演奏を始めたのを皮切りに、18歳にして、ラジオやTV(BR, ARD, ZDF, SWF)のショーで大活躍・・・

 かくして『ミュンヘンのオルガン・トルネード』の評判で、彗星のようにデビューした才媛。そのスタイルも、スウィング、ビバップ、ブルース、ソウル、ラテン、ファンクなど、何でもござれのクロス・ジャンル。

 バーバラにとってのヒーローはジミー・スミス(Jimmy Smith)ではなく、チャーリー・パーカー(Charles Parker Jr.)だったそうです。音楽センスも、むしろラリー・ヤング(Larry Young)に近いとさえ言う人もいます。

Barbara Dennerlein

 彼女が本格的にジャズの世界に飛び込んだ時、既にハモンドB3は生産が中止(1974年)されていました。B3はパーカッションを搭載した最初のハモンド製品でした。

 しかし、バーバラはB3にこだわりました。しかも、MIDIテクを駆使し、ペダルボードにアップライト・ベースのサンプリング音を割り振ったり、鍵盤にシンセをトリガーさせたりと、まさに時代の申し子でした。

Dennerlein.jpg


 何と言っても、バーバラのハモンドB3のペダルワークは悶絶ものです。ジャズ・オルガニストでペダル・ベースにこだわる人は稀です。左手でベース音を弾きながら、右手でコードやソロ、アドリブを展開するのが、ジャズ・オルガニストの定番の一つです。

 しかし、彼女にとって、ペダルワークは自身のプレイ・スタイルに不可欠。リズム構造の根幹となっているそうです。彼女自身が、この点について触れたインタビューがあったのでご紹介します。

 これは、イタリアのラリーノ(Larino)でのコンサート時、大聖堂の前でインタビューに答えたものです。インタビューはイタリア人のインタビュアーが英語で行ったものです。本稿における彼女の名前の発音は、このインタビュアーの発音に準じています。正確ではないかも知れませんので、ご了承ください。ちなみにフランスのセジャンのコンサートではフランス人のMCが、バーバラ・デナラインと言っていました。



 気品と優雅さ溢れる受け答えですね。まさに、ジャズ界のハモンド・クイーンです。ますます虜になってしまいます。(笑)

 ところで、日本において、ハモンドオルガンの輸入代理業務を最初に行っていたのは、何と『メンターム』の近江兄弟社だったと書いてあります(wiki資料)。なるほど。近江商人はメンタームからハモンド・オルガンまで商いしてましたか。近江商人の行動哲学は「売り手よし、買い手よし、世間よし」でしたね。

 ことバーバラに関して言えば「音よし、テクよし、センスよし、もひとつおまけに器量よし」ですね。

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Barbara Dennerlein / Hammond B3 Organ.
Dennis Chambers / Drums.

Not shown on clip:
Andy Sheppard / Sax,
Mitch Watkins / Guitar


テーマ : JAZZ
ジャンル : 音楽

第12話 Miles Davis 『The Man With The Horn』 (1981) US

今夜の一曲 Shout


milesman


 1975年から1981年までの空白期間。もうトランペットが吹けない、との下馬評をよそに、マイルス・デイビスは6年ぶりに復活を遂げます。活動停止には勿論、理由がありました。

 世間で言われる「諸事情」ってのは、いわゆる「大人の事情」と同じで、無粋な詮索は、井戸端会議か週刊誌ネタも同然でしょう。プライバシーに土足で踏み込むのは後ろめたいのですが、本人が明らかにしているエピソードなら免罪符でしょうね。むしろ、そこにヒューマン・ドラマがあるからこそ『The Man With The Horn』は面白いんです。

 けれども、音だけ聞くと、マイルス・ファンとしては屈辱ですが、これはマイルスでなくても作れるアルバムだった。ですが、復活に至る苦闘を知れば知るほど、本作には「エレクトリック・マイルス後期第一作」の他にもタグがつくんです。

 それはたとえば「再生マイルス」「茨の道を行く」「健康的な生活を取りもどそう!」「特定健診を受けましょう」「ダメ!ゼッタイ!」とかです。ますます付加価値アップですね。

 1974年に至るまで、ジャズに革新をもたらしたマイルスは、試行錯誤に喘いでいました。ジミヘンやスライやジェームス・ブラウンだけでなく、シュトックハウゼンの研究も欠かさず行いました。次の展開を探ってマイルスは身を粉にする日々でした。

 しかし、サンパウロでは、ウォッカとコカインと鎮静剤のせいで、死の瀬戸際をさまよう羽目になりました。しかし、その翌日には素晴らしいコンサートを披露して驚かせます。

 その後、米国に戻り、ヘッド・ハンターズで大成功を収めたハービー・ハンコックとのツアーを挙行。ところが、乱れた生活が災いして潰瘍が出血します。おまけに咽頭から結節の切除を行うなど波乱含み。

 1975年の夏には、NYでニューポート・ジャズ・フェスなどに出演しましたが、再び不調を訴えます。公私にわたるトラブルのストレス、健康上の問題、精神的な疲れから、とうとう音楽活動の一切の停止を決意します。

 12~13歳からずっと音楽に接していたのに、人生で最も大切な音楽を諦めるという苦渋の決断でした。マイルス49歳。

 最初は半年ほどの休養のつもりが、結局6年にも及びました。光を求めて闇の中から浮かび上がるための苦しい闘いがスタートします。

 1975年から1980年初頭までは、全くトランペットに触れなかったと言います。この間、やはり腐りきった生活とは縁を切れませんでした。コカインに加えて、パーコダンやセコノールなどの鎮静剤、コニャックにハイネケンなどのアルコール類を浴びるほど飲む生活。時には、コカインとヘロインを混ぜて、足に注射する「スピード・ボール」すら。プラス女遊びにうつつを抜かす日々・・・

 最後には引きこもり生活。半年以上も外に出ないこともありました。この時期の我が身を振り返って、彼は「双子座であることに加え、二人分の人格」があったと言います。自分の中に四人の人間がいて、鏡を見ると、その四人の顔が同時に映ったというから、想像するだに恐ろしい。

 そんな救いがたい状況のマイルスを救ったのが、手を差し伸べてくれた三人。リバティ/ブルーノートから、マイルスの契約会社のコロンビアに移籍してきたジョージ・バトラー。後にマイルスの伴侶となるシシリー・タイソン。そしてマイルスを敬愛するミュージシャンの甥、ヴィンセント・ウィルバーン。

 人を絶望の淵から救い出すのは、やはり人の力。三人の助力で、再び音楽を志そうと決意した瞬間に、これまでやめられなかったクスリとの縁が切れました。

 ですが、体の一部だったはずのトランペットが言うことを聞きません。ブロウに欠かせない唇も力強さを失っていたし、テクニックも衰えていました。この6年間、音楽界からも距離を置いていたので、音楽の潮流にとんと無縁の浦島状態。すぐにワウワウなどのエフェクトに逃げようとするマイルス。そんな逃げの姿勢を叱咤しつつ、じわじわと理想の音楽を形にしていきました。

 膨大なスタジオ・ワークを経て、新作のマテリアルをレコーディング。マイルスも、徐々に音楽へのカンを取り戻していきます。取捨選択の末、廃棄するものも膨大で、初期の録音で残ったのは「シャウト」と「ザ・マン・ウィズ・ザ・ホーン」の二曲のみ。

 そう考えると、今回取り上げた「Shout」は、マイルスの復活にかける当初のムードを色濃くすくい取っている作品ではないでしょうか。この曲の凡庸さを説く前に、彼のブランクからの蘇生にかける意気込みを汲み取ってほしいと思うのは、ファンならではの手前味噌か。

 カンが戻るに従って、マイルスは望む音を形に出来るミュージシャンを呼び寄せます。新たに集結したのが、盟友アル・フォスターを始め、マーカス・ミラーやマイク・スターンら、新進気鋭のメンツ。これで復活作の色合いが決定したのです。

 だが、本作は、まだまだ本来のマイルスのパワーを取り戻すに至っていません。それでも、空白期間のマイルスの苦悩を知れば知るほど、本作が眩しく思えます。私が評論家だったら、「ダメ」の烙印を押すことでしょう。マイルスらしい個性が欠如していて、作風も陳腐なポップスだったり単純なフュージョンにとどまっています。しかし、一ファンとしては、不死鳥マイルスにまずは喝采ですね。

 チャールズ・ミンガスが1979年、56歳で病死。ビル・エヴァンスも1980年、麻薬常用の影響で、51歳で失血性ショック死。マイルスは、相次ぐ朋友の死にショックを受けたはずです。復活を果たしたマイルス・・・アルバムリリース当時、55歳でした。

 マイルスは復活コンサートにおいて、脳性小児麻痺の車椅子の男が自分の演奏に感動しているのを気づきます。その男が差し伸べた手は「すべて問題はないよ、マイルス。前みたいに素晴らしい演奏じゃないか。」そう言っているように感じました。マイルスは、新たな力がみなぎってくるのを感じたのです。

 どん底においても希望の光を見失わない強い心。プレッシャーやストレスに打ち勝つしなやかな心。望みを失わなければ、闇の中から救い出してくれる暖かな手がある。しかし、忘れてはいけない。最後に試合を決するゴールを決めるのは、自分自身の足なのだ。


Miles Davis - trumpet
Bill Evans - soprano sax (exc. 3)
Barry Finnerty - guitar (exc. 5)
Mike Stern - guitar (1)
Marcus Miller - bass (exc. 3, 5)
Al Foster - drums (exc. 3, 5)
Sammy Figueroa - percussion (exc. 5)

on 'Shout' and 'The Man with the Horn'
Robert Irving III - Yamaha CP30 synthesizer, piano
Randy Hall - synth, guitar, celeste, Moog synthesizer; lead and background vocals (5)
Felton Crews - bass
Vincent Wilburn - drums

Produced by Teo Macero
Executive Producer: George Butler


テーマ : JAZZ
ジャンル : 音楽

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Author:ticca
 音楽ネタを中心とした雑記帳です。

 60年代後半から70年代にかけてのワールドワイドなロック、ポップス、プログレ、アシッド、サイケ、フォーク、ジャズロック、ジャズなどの話題を主に、ひっそりメモってます。

 それぞれの記事はその時々のフィーリングで書いていますが、基本形はある曲をきっかけに感じた雑感が題材になっています。

 私は単なる音楽愛好家ですので、記事に関しては、思い込みや勘違いがたっぷりあることかと思います。その点はご容赦願います。もし、お気づきの点があれば、ご指摘下さい。

 個人的に思い入れのあるものを主に綴っていますので、マイナーかつ気まぐれなセレクション、お許し下さい。

 それでは、今宵の音楽夜話におつきあい下さい。

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