第53話  Graham Bond Organisation 『There's A Bond Between Us』(1965) UK

今夜の一曲  Baby can it be true


gbo.jpg



 メロトロンを最初に使った曲をリリースしたのは、ビートルズでも、マンフレッド・マン(Manfred Mann)でも、レイ・デイヴィス(Ray Davies)でも、マイク・ピンダー(Michael Pinder)でも、モーリス・ギブ(Maurice Gibb)でもありませんでした。

 この曲を収録した第二作『There's A Bond Between Us』は、1965年11月発表です。これに先立つシングル「Lease On Love」が、メロトロンの使用例としては最も早かったと公式認定されています。これは1965年7月リリースのシングルで、B面「My Heart's In Little Pieces」とのカップリングでした。

 ある意味、「Lease On Love」は彼らにとって異色なナンバー。スリリングなオルガン・プレイは一切見られませんから。


gbo3.jpg


 友人に教えてもらったのですが、グレアム・ボンド(Graham Bond)がメロトロンを初めて使ったのは、1965年7月31日のTVショーだったという説があるそうです(レコード・コレクターズ2000年1月号)。とすれば、「Lease On Love」発表直後のライブですね。

 それにしてもグレアム・ボンド・オーガニゼイション(Graham Bond Organisation)に絡むメンツは凄いですね。ジャック・ブルース(Jack Bruce)、ジンジャー・ベイカー(Ginger Baker)、ディック・ヘクトール・スミス(Dick Heckstall-Smith)のみならず、ジョン・マクラフリン(John McLaughlin)やジョン・ハイズマン(Jon Hiseman)まで。まさに、王道を行くR&B ジャズ・バンドでした。

 「Don't Let Go」もメロトロンが活躍する曲ですが、こういう奏法をみていると、新しい楽器の特性をどう活かすかなんて、全くわかってなかったのか、それともただ単に面白がってるだけなのか、一体どっちなんだろうって思ってしまいます。


gbo5.jpg


 初期のメンバーであるマクラフリン脱退の理由は、ヘロイン常習のベイカーとの確執にあったそうです。むなしいものですね。マクラフリンが追い出されて、代わりに入って来たのが、かつての盟友ヘクトール・スミスでした。

 もともと彼らは、アレクシス・コーナーズ・ブルース・インコーポレーティッド(Alexis Korner's Blues Incorporated)で活動していました。ある夜、ブルースとベイカーとボンドの3ピースのギグが喝采を浴びたことで、Graham Bond Organisationの構想が現実化しました。

 中核の三人がBlues Incorporatedを飛び出した時の、アレクシスのショックは計り知れません。一方のGraham Bond Organisationも順風満帆とは言えませんでした。マクラフリンを失い、ヘクトール・スミスを得て、新しいスタートを切ります。ザ・フー(The Who)やトロッグス(The Troggs)、ムーディー・ブルース(The Moody Blues)らとツアーを展開します。


gbo4.jpg


 お馬鹿なコメントですが、メロトロンの導入も画期的でしたが、何よりオハコの火を吹くハモンド・オルガンが最高ですね。なるほど、ボンドがグループ名をORGANisationにしたかったのも頷けます。なお、グループ名は英国ではOrganisation、それ以外ではOrganizationと記されることが多いそうです。

 モッド・ジャズ・プレイヤーとしても文句なしの彼らのパフォーマンス。残念な事に、グループは内紛や、商業的な成功に見放されて空中分解します。ボンドは精神的に大きな傷を負います。

 それでも彼らのアグレッシヴな活動スタイルは、ブライアン・オーガー(Brian Auger)、キース・エマーソン(Keith Emerson)、スティーブ・ウィンウッド(Steve Winwood)、イアン・デューリー(Ian Dury)など、数多くのミュージシャンたちに影響を及ぼすことになります。

 あのジョン・ロード(Jon Lord)もまた、ハモンドの魅力をボンドに教えてもらった( "He taught me, hands on, most of what I know about the Hammond organ".)、と語ってましたね。


gbo2.jpg


Jack Bruce / Bass, Vocals
Ginger Baker / Drums
Graham Bond / Hammond Organ, Alto Saxophone, Mellotron, Lead Vocals
Dick Heckstall-Smith / Tenor Saxophone

<第110話 Graham Bond 『Holy Magick』 (1970)へ>
<第111話 Graham Bond 『Love Is the Law』 (1968)へ>
スポンサーサイト

テーマ : 洋楽ロック
ジャンル : 音楽

第52話  Nirvana 『All Of Us』(1968)UK

今夜の一曲  Rainbow Chaser


nirvana.jpg


<ピエール・フリテルの絵画の謎に迫る>


 「Rainbow Chaser」はニルヴァーナUKの三枚目のシングルで、2ndアルバム『All Of Us』のオープナーでした。華麗なオーケストラにまでフランジャーかけたりして、怪しさ倍増です。ビートルズの蒔いたサイケデリアの波は、まさに絶頂を迎えていました。

 本作は『ペット・サウンズ』(Pet Sounds )(1966.5)から『リヴォルヴァー』(Revolver)(1966.8)『サージェント・ペパーズ』(Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band )(1967.6)、『マジカル・ミステリー・ツアー』(Magical Mystery Tour)(1967.11)直系の音と言っても褒めすぎではないと思います。

 フランスのTVでこの曲を演奏した時、ステージにはサルバドール・ダリ(Salvador Dalí)が居合わせて、Nirvana UKに黒ペンキをぶっかけたそうです。パトリックは後に、ダリのサインを貰わなかったことを悔やんだそうですよ。一方ではシルヴィア(Sylvia Schuster)の大切なチェロにもペンキがかかって大変だったとか。


aou.jpg


 Nirvanaは、基本的にパトリック・キャンベル・リオンズ(Patrick Campbell-Lyons)とギリシャ出身のアレックス・スパイロポロウス(Alex Spyropoulos)のプロジェクト。卓越したメロディ・センスを持っていて、欧州ではある程度成功したものの、英米では泣かず飛ばず。唯一、この曲だけがUKチャートイン。

 どの曲も単なる3分間ポップスを超えて、勿体ぶったような格調高さがウリ。「You Can Try It」は、ハープシコードやメロトロン、女コラを配して、バロックなのかネオ・クラシックなのか、不思議なテイストを持ったワルツ曲。独特の牧歌的な肌触りに軽妙さが溶けあって、不思議な空気。

 彼らのデビュー作『The Story Of Simon Simopath』(1967)はバンドとしての作品でしたが、本作の時点では、既にバンド形態としてのNirvanaは、ほぼ解体されていました。

 かくして、パトリックとアレックスのスタジオ・ワークを核として出来上がったセカンドは、デビュー作のようなコンセプト・アルバムではなく、キャッチーなメロディを誇る弾けるようなサイケ・ポップの宝石箱に仕上がりました。

 しかし、3分間のラジオ・ヒットを狙ったキャンディ・ポップの寄せ集めに見えながら、不思議に「何かあるぞ」感を漂わせている理由は、この妙ちくりんなジャケット写真とタイトルにあるような気がします。


fritel1.jpg


 で、このジャケ写真なのですが、これをアルバム・カバーにするアイデアを思いついたのはパトリックだったようです。この写真の正体は一体、何なのでしょう?

 彼がこの絵を見たのはドイツのブレーメンでした。ヒットラー(ナチ)のプロパガンダ映画にスチル写真として挿入されていたのが、この絵でした。あくまでも私の想像ですが、パトリックはドイツの「抵抗運動博物館」を訪れたのではないでしょうか。

 では、この写真の元になった絵画とは何なのでしょう。この絵が描かれたのはナチの時代ではなく、19世紀末に遡ります。パリス・サロンに掲げられたこの絵の作者は、フランス人の画家・彫刻家であるピエール・フリテル(Pierre Fritel)(1853-1942)です。

 絵のタイトルは『Les Conquerants』(The Conquerors/征服者たち)です。この絵に描かれた人物をよく見てみると・・・


fritel-big.jpg


 ご覧のように、論理的にはあり得ない集合写真でしょう。あらゆる時代の軍馬。そして時を超えて集まった皇帝や武将たち。よく見ると、古代エジプトのファラオまでいますね。時に英雄と呼ばれつつも、その実態は、抵抗勢力の生き血を吸って権力闘争のトップにのし上がった、時の為政者のトップたち。

 彼らの周りに転がっているもの。それは、累々たる裸の死骸たち。死して報われるでもなく、単なる物言わぬ物体と化して、ただそこにある。そして、その屍の間を英傑行列する「英雄」たちの有姿(?)。しかし、彼らを歓迎してくれるはずの群衆の姿はありません。まるで、黄泉の国を行軍するような静けさに支配されています。

 絵画に描かれている人物が、わかりますか。左から順に、ラムゼス二世、アッティラ、ハンニバル、タメルラン。中央に占めるのがユリウス・シーザー。その右側から順に、アレキサンダー大王、ネブカドネザル二世、シャルルマーニュ(カール大帝)です。

 ちょっとおさらいしてみましょう。ラムゼス二世は古代エジプト王朝のファラオ。アッティラはフン族の王。ハンニバルはカルタゴの将軍。タメルランはティムール朝の建国者。シーザーは古代ローマの将軍。アレクサンダーはアレクサンドロス大王で、マケドニアの王。そして、ネブカドネザル二世は新バビロニア王国の王、カール大帝は西ローマ帝国の皇帝ですね。


alu.png


 作者のピエール・フリテルが絵筆を握った意図は、その本意が何であれ、見る者の心を強烈に揺さぶります。権力に飢えた人々が誇らしげに凱旋し、そのすぐ脇には屍の山。物言わぬ絵画がいかに饒舌であるかを実感します。

 ところで、この絵画は現在、どこにあるのでしょうか。実はこの作品は油彩で、色鮮やかに塗り上げられています。しかし、世に知られているのは白黒の複製のみ。カラー版はこの程度の粗悪なものしかweb上には見つかりませんでした。


fritelcolor_20140927232557899.jpg


 調べてみると、1988年にある人物が、この絵をサザビーズ(Sotheby's)で競り落としていました。アート・ネット(artnet)で検索すると、過去のオークション歴(past auction)のコーナーに売買記録を見つけました。匿名の人物(undisclosed figure)がオークションで購入、とあります。

 それにしても、この絵画は474 x 678 cm. (186.6 x 266.9 in.)というばかデカいサイズ。これを購入された方は、個人で楽しむにせよ、一体どんなディスプレイをしてみえるのでしょう。まさか、私蔵にして死蔵というわけでは・・・まぁ、余計な詮索ですね(笑)


aos4.jpg


 そういうわけで、パトリックの目に留まったこの絵画が、Nirvanaの『All Of Us』のカバーを飾ったわけです。ですが、この絵画とアルバムやタイトルとの関連が見えてこない点も、まさに謎。どなたか真相をご存知の方は・・・?

 私のそんな問いかけに、ネッ友のNさんは「サージェント・ペパーに触発されて歴史的著名人が並んでいる絵を使ってみたのでは。」と返してくれました。

 なるほど、そんな見方も出来ますね。『Sgt. Pepper's』の、あのスリーブ・デザインは、あまりにインパクトがありました。マザーズやストーンズなど、大御所たちがあからさまにパロったほど。パロディというより、オマージュといったところでしょうか。そして、Nirvanaも・・・?


<第100話 Nirvana U.K. 『Local Anaesthetic』 (局部麻酔) (1971) U.K.へ>


oau2.jpg



Patrick Campbell-Lyons / guitar, vocals
Alex Spyropoulos / keyboards

テーマ : サイケデリック
ジャンル : 音楽

第51話  Quiet Sun 『Mainstream』(1975)UK

今夜の一曲  Sol Caliente


qsun.jpg


 英国人の父、コロンビア人の母。英国生まれながら、キューバ・ハワイ・ベネズエラで育った環境が、彼の音楽的素養を培ったのでしょうか。これがもっと形になるのは、後のソロ作ですが、そんな彼のルーツの一つがこのクワイエット・サン。

 クワイエット・サンは、フィル・マンザネラが、ロキシー・ミュージック加入以前に結成していたグループです。これはフィル・マンザネラ、ビル・マコーミック、チャールズ・ヘイワードが結成したPooh And The Ostrich Featherの発展形でした。

 しかし、やがてクワイエット・サンの活動も水入り状態。フィルはブライアン・フェリー(Brian Ferry)の家でローディとしてミキシング・コンソールをいじったり、当時ロキシーのギタリストだったデヴィッド・オリスト(David O'List)のためのギター・チューニングに余念がありませんでした。


qsun3.jpg


 ビルはロバート・ワイアット(Robert Wyatt)からマッチング・モール(Matching Mole)への参加を打診されます。また、チャールズはマル・ディーン(Mal Dean)のThe Amazing Bandや、デヴィッド・アレン(David Allen)のGongを行ったり来たり。デイヴ・ジャレットは音楽の世界を離れて量子力学の講師に。クワイエット・サンは1972年に解散しました。

 グループ名はビル・マコーミックの兄弟のイアンが読んでいた『The Year Of The Quiet Sun』の太陽黒点やソーラー・フレアの記事から引用したそうです。

 フィルは、ロキシー在籍中『Diamond Head』の録音にあわせてクワイエット・サンを再結成しています。再結成してまでレコーディングするほど、フィルにとっては思い入れの深いバンドだったんでしょう。


qsun2.jpg


 『メインストリーム』全曲と『ダイヤモンド・ヘッド』のマテリアルの半分は、クワイエット・サン時代に書きためた曲です。そう考えると、当時はまさに創作意欲に充ち満ちていた時期。

 レコーディングはアイランド・スタジオを26日間、一日あたり12時間借り切って、両アルバムをを同時平行で録音したといいます。ソロが昼12時から、クワイエット・サンは18時からの録音という強行軍だったそうです。

 しかも、時間の制限から、クワイエット・サンは二度の短いリハーサルだけしか許されませんでした。しかもベーシック・トラックのほとんどがファースト・テイクを余儀なくされました。


qsun6.jpg


 アルバムは New Musical Express誌のAlbum Of The Monthに選定され、アイランド・レコード(Island Record)では、バッド・カンパニー(Bad Company)やキャット・スティーヴンス(Cat Stevens)に迫る売り上げを収めました。

 逆風をものともせずに得た成功。才気走った人は、まさに「弘法筆を選ばず」。与えられた環境を厭うことなく、才能を遺憾なく発揮できるのでしょうね。あやかりたいものです。


Charles Hayward / drums, percussion, keyboards & voices
Dave Jarrett / Fender rhodes, steinway grand piano, farfisa & hammond organs, VCS3
Phil Manzanera / electric 6 & 12 string guitars, treated guitars, fender rhodes piano
Bill MacCormick / electric bass, treated bass, back-up voices

+ Plus
Brian Eno / synthesizer, treatments & Oblique Strategies
Ian MacCormick / back-up voices


qsun5.jpg



テーマ : プログレ
ジャンル : 音楽

第50話 PFM 『Photos Of Ghosts』 (1973) Italy

今夜の一曲 Rivers Of Life


photos.jpg


 1970年代のイタリアにおいて、多くのロック・バンドがインターナショナルな成功を求めて、英詩をつけたアルバムをリリースした事が知られています。

 Le Ormeは『Collage』(1971)を聞いたカリスマ・レーベル(Charisma)がアプローチしました。英国でツアーを行い、VDGGのピーター・ハミル(Peter Hammill)によって英詩が提供され、『Felona e Sorona』(1973)をリリースします。けれども成功には至りませんでした。


photos9.jpg


 Premiata Forneria MarconiやBanco Del Mutuo SoccorsoはEL&Pのマンティコア(Manticore)からコンタクトがありました。

 PFMは、同レーベルで『幻の映像』(Photos Of Ghosts)(1973)、『甦る世界』(The World Became The World / L'isola Di Niente)(1974)、『クック』(Live In USA)(1974)の三枚をリリースしています。英詩を提供したのはピート・シンフィールド(Pete Sinfield)でした。


photos12.jpg


 PFMはマネージャのFranco Mamone(Le Ormeのマネージャ)の尽力によって、三度の米国ツアーを成功させました。三枚のアルバムは1992年のBillboard 200 "Top Pop Catalog"にも選出されています。

 一方のバンコは『イタリアの輝き~バンコ登場』(Banco)(1975)『最後の晩餐』(As In A Last Supper / Come In Un'ultima Cena)(1976)の二枚をリリース。しかし、インターナショナルな成功を収めることはありませんでした。


photos3.jpg


 他にも、イタリア語盤と英語盤が存在するグループがあります。たとえば、Maxophone『Maxophone』(1975)。これはUS、カナダ、ドイツ盤が英語で、よく中古盤市場にも出回りますが、イタリア原盤はレアです。


photos8.jpg


 Uno『Uno』(1974)は、フランス・ドイツ盤を始め、ヨーロッパ盤がヒプノシス(Hipgnosis)・カバーの英語版で、本国盤がイタリア語版。


photos5.jpg


photos7.jpg


 Il Rovescio Della Medagliaの『Contaminazione』(1973)は、本国やヴェネズエラ盤はイタリア語版のようですが、US、カナダを始め、ヨーロッパ盤は英語版の『Contamination』。この英語版はイタリア本国では、1975年になって初めて国内リリースされています。


photos4.jpg


photos6.jpg


 Il Balletto Di Bronzoの『YS』(1972)には英語版が存在しますが、これは本国盤からの抜粋で、しかも完全に別アレンジ。いや、恐らく事実はその逆で、英語版は正式盤リリース以前のリハ音源(1971)ではないかと言われていますが真相は不明です。抜粋というよりも、他の楽章のレコーディングが未完だったのかも知れません。

 バレット・ディ・ブロンゾは『YS』を英国とドイツでもリリースしました。これは英国における初めてのイタリア語によるロック・アルバムだったようです。しかし、彼らの音楽はあまりに複雑で、英国はもちろん、本国においても受け入れられることはありませんでした。


photos2.jpg


 イタリア語盤が存在せず、最初から英語で勝負しているバンドもあります。思いつくままに挙げてみると、Anonima Sound LTD.『Red Tape Machine』(1972)、Analogy『Analogy』(1972)、Acqua Fragile『Mass Media Stars』(1974)、Crystals『Crystals』(1974)、The Blues Right Off『Our Blues Bag』(1970)などなど。


photos10.jpg


 ここまであからさまだと、国ごとのアイデンティティって何?・・・という気もしますね。勿論、そのアーティストにとって、英語が完全なる外国語の場合もあれば、はたまた第二言語である、と言う場合もあるので「アイデンティティ論」は、別のくくりで話題にすべきでしょう。

 国ごとのアイデンティティと言っても、曲の出来不出来の話ではありません。まして、そのアーティストの存在意義を云々するわけでもありません。ABBAの例を見るまでもなく、良い曲は良いのだし、語り継がれるべきは語り継がれていくのですから。


analogy11.jpg


photos1.jpg


 現在、世界人口70億人のうち、英語を母国語とする人はせいぜい4~5%と言われています。けれども、70億の人口のうち、その1/4が英語人口と言われています。単純計算でも17億5千万人ですね。

 それだけではありません。非英語圏の人々にとっても、英語の認知度が高いことを考えると、英語で勝負することで、母国語で勝負するよりはるかに巨大なマーケットで勝負できるわけです。


photos11.jpg


 ちなみに、1970年の人口を調べてみると、イタリアで5366万人、フランスで5078万人、ドイツで7778万人となっています。ちなみに、当時の世界人口は36億9千万人だったと言われています。

 勿論、こうしたヨーロッパ諸言語においても、第二言語としての話者の数を考えると、移民や植民の歴史と共にもっと多い数字に落ち着くでしょう。それを差し引いても、英語の認知度が格段に高いという理由が、英語録音の理由(わけ)なのでしょうか。


Franz Di Cioccio / drums, percussion, vocals
Jan Patrick Djivas / bass, vocals
Franco Mussida / guitars, lead vocals
Mauro Pagani / violin, flute, vocals
Flavio Premoli / keyboards, lead vocals

<関連記事> 英語で歌うということ 第30話  Banzai  『Hora Nata』へ

テーマ : プログレ
ジャンル : 音楽

第49話  Erroll Garner 『Misty』(1954)US

今夜の一曲  Misty





 エロール・ガーナー。米国のジャズ・ピアニスト。生涯、数多くの作品を残しています。ほとんど計画もないままに一晩でアルバム三枚を完成させ、しかもそれがファースト・テイクだった、という逸話も残っています。

 「ミスティ」は、これがオリジナルで、1954年録音。1957年にオーケストラを交えて再録しています。この曲が神格化されたのは、ジョニー・バーク(Johnny Burke)が詩を与え、ジョニー・マティス(Johnny Mathis,)が歌ってからでしょう。


eg5.jpg


 「ミスティ」に先立つ1947年の時点で、チャーリー・パーカー(Charlie Parker)をCool Blues Sessionで支えたというので、当時既に、ガーナーの才能はお墨付きだったのでしょう。

 この曲は、ガーナーがニューヨークからシカゴに向かう飛行機から見た霧にインスパイアされた曲。バークはこれをラヴ・ソングに昇華することで、不滅のスタンダード・ナンバーに変えたのです。


eg2.jpg


 「ミスティ」で忘れられないのは、クリント・イーストウッド(Clint Eastwood)の処女監督作、『恐怖のメロディ』(1971)です。映画の中で、ラジオ曲DJのデイヴ(Clint Eastwood)に執拗に迫るのがイヴリン(Jessica Walter)でした。この恐ろしいサイコ・スリラーで使われた、あまりに甘美な「ミスティ」のメロディが耳について離れません。


eg4.jpg


 さて、ガーナーは独学でピアノを学んだそうですが、それが独自のスタイルを作り上げる要因となったのでしょうか。楽譜が読めなかったとも言われますが、それだけ優れた音感に恵まれていたという事なのでしょう。

 ジャストなリズムを外す絶妙な奏法も話題になりました。このビハインド・ザ・ビートと呼ばれる独特のリズムが生み出す素晴らしいスウィング感。これは彼が「左利き」である事と関連がある、と指摘する人がいます。


eg.jpg


 確かに、優れたミュージシャンの中には左利きの人がいますね。音楽脳とか芸術脳と呼ばれる「右脳」が発達している事に相関がある、という説もありますが、ホントのところはどうなんでしょうか。

 また、後日、追記として関連記事をリンクしてみたいと思います。


eg6.jpg

テーマ : JAZZ
ジャンル : 音楽

第48話  Bobak, Jons, Malone 『Motherlight』(1969)UK

今夜の一曲  Mona Lose


bjm3.jpg


 ポスト・サイケの時代に、隠花植物のようにひっそりと怪しい花を咲かせたボバック・ジョンズ・マローンの唯一作。オレンジ・バイシクル(Orange Bicycle)出身のウィル・マローンの渦巻くようなオルガンに、ラウドなドラムス。マイク・ボバックとアンディ・ジョンズは、モーガン・スタジオ(Morgan Studios)のエンジニア出身です。

 モーガン・スタジオの創設者はモンティ・バブソン(Monty Babson)とバリー・モーガン(Barry Morgan)。 英国ロックの最重要作を生み続けてきたモーガン・スタジオ。

 一例をあげると、Pink Floydの『おせっかい』(Meddle)、Led Zeppelinの『Led Zeppelin II』やPaul McCartneyのファースト・ソロ『McCartney』、Yesの『海洋地形学の物語』(Tales from Topographic Oceans) など数え切れないほどの名作を産み出してきました。1973年、英国では初めてアンペックス(AMPEX)の24トラックMTRを導入した事でも知られています。

 ボバック・ジョンズ・マローンの『マザーライト』も、モーガン・スタジオで録音されています。ところが、配給元がモーガン・ブルータウン(Morgan Blue Town)というのがミソ。これはモーガン・レコーズ(Morgan Records)傘下のサブ・レーベルでした。

 そもそも、1968年にモーガン・スタジオの所有者のバブソンとモーガンの二人が作ったのがモーガン・レコーズでした。しかし、ハナから売れそうにない実験的なヤツはサブ・レーベルで行こうという訳でしょうか。いずれのレーベルも短命に終わりましたが・・・


bjm4.jpg


 そういうわけで、マイナーなプッシー(Pussy)とかレッド・ダート(Red Dirt)らが、お仲間だった。ボバック・ジョンズ・マローンは、スタジオ活動だけのワンショット・バンドだったのでしょう。ボバックによると、単に「楽しもうよ。」という遊び心の産物。

 内輪話としては、モーガン・スタジオが空いてる夜だったらタダで使わせてやるから、版権は全部バブソンがもらうぜ・・・って感じだったようです。まぁ、売れるはずもなかろうってことで・・・それでも「オランダではチャート・インしたって聞いたよ」とボバック。

 『Motherlight』のタイトルはジェームズ・ジョイス(James Joyce)の『ユリシーズ』(Ulysses)から。それにしても、あまりにアンチ・コマーシャル。500枚だけとか(これは再発盤?)、100枚程度とか、或いは友人用に50枚だけのプレスだったという説さえある。よくわかりません。当然オリジナルは600ポンドの高値をつけてますね。日本円にして10万円以上かぁ。全くため息が出ます・・・

 「バッド・トリップ・サイケデリア」という人もいれば、「プレ・プログレ期の傑作」とする人もいます。「音はクダらないけどジャケは秀逸」というイタい意見まで。でも、私はこれが好きなんです。ウィル・マローンのブライアン・ウィルソン(Brian Wilson)への直截(ちょくさい)な敬意やProcol Harum、初期Pink Floydの影響を巧みに消化しています。


bjm6.jpg


 アンディ・ジョンズのエンジニアとしての職歴は、Jethro Tullの『スタンド・アップ』(Stand Up)、Led Zeppelinの初期作群、Rolling Stonesの70年度初頭作の数々、Joni Mitchellの『シャドウズ&ライト』(Shsadows & Light)など、まさに華々しい。

 プロデューサとしても、Humble Pie, Free, Van Halen, Televisionの大ヒット作『マーキー・ムーン』(Marquee Moon)の共同プロデュースにも当たっています。そうそう、アンディ・ジョンズは、グリン・ジョンズ(Glyn Johns)の弟でした。ってことは、アンディ・ジョンズのJonsのスペルはペンネームで、本当はJohnsでしょうか。

 YTさんからご指摘いただいたのですが、ジョンズはB'zの「Real Thing Shakes」のプロデュースも担当しているそうです。ちょっと引用させて下さいな。

 「ドラムもサトリアーニ(Joe Satriani)繋がりかグレッグ・ビソネット(Gregg Bissonette)でしたよ。」「地元のレコード屋で初めて聞いた時に、『この曲のプロデューサーかエンジニアは絶対外国人!』と、根拠のない確信を持ったものです。まさかあんな超大物とは思いませんでした。さすがB'zおっ金持ちー!」 YTさん、情報サンキュです!

 マイク・ボバックはその後、The Kinks, Faces, Donovan, Rod Stewart, Greenslade, Carly Simon, UFOらの大御所のレコーディング・エンジニアを務めます。

 ウィル・マローンもIron Maiden, Black Sabbath, Rick Wakeman, The Whoのプロデュースやアレンジ、オーケストレーションを担当します。

 さて、『Motherlight』に浸って腑抜けたところで、お次はウィル・マローンのソロでも引っ張り出してみましょうか。毒を食らわば皿まで。こいつは何故か発売後、回収されてますね。そんなミステリーも良いおかずになります。(笑)


bjm1.jpg

Wilson Malone / Keyboards, Drums, Recording Supervisor
Andy Jons / Bass, Engineer
Mike Bobak / Guitar

テーマ : サイケデリック
ジャンル : 音楽

第47話  Exmagma 『Exmagma』 (1973) Germany

今夜の一曲  The First Tune


exmagma1.jpg


 中古盤屋でよく見かけたのが、彼らのセカンド『GOLDBALL』(1974)。当時はあのジャケに引いてしまって、全く食指が動きませんでした。しかも、勝手にマグマ人脈のバンドだと勘違いしてました。

 カンタベリー風のオルガンやファズ・ベースが暴れたり、フリーキーなサックスやエレクトロニクスが渦巻くサイケ&エクスペリメンタル・ジャズ3人組。彼らのファースト『EXMAGMA』(1973)は、A面がスタジオ録音、B面がライブ録音になっています。

 キーボードのトーマス・バロフ(Thomas Balluff)はソウル・バンド出身。ベース、ギター、サックスのアンディ・ゴールドナー(Andy Goldner)はR&B出身。そして、デトロイト生まれで、50年代末にドイツに渡ったアフリカ系米国軍人ジャズ・ドラマー、フレッド・ブレイスフル(Fred Braceful)。

 フレッドは、鬼才ヴォルフガング・ダウナー(Wolfgang Dauner)とEt Ceteraを組み、『Fur』(Calig)(1969)、『Output』(ECM)(1970)、『The Call』(Schwann AMS Studio)(1971)などのコラボ作を残しています。エクスマグマのブレインはフレッドなのかもしれません。

 バンド結成に当たり、彼らは当初、マグマ(MAGMA)を名乗りました。けれども、フランスに同名バンドがいると知り、名前をエクスマグマ(EXMAGMA)に変えています。<参考;Progarchive>


exmagma2.jpg


 エクスマグマのセカンド『GOLDBALL』は、フランスのマイナー・レーベルのユリュス(Urus)から、ひっそりとリリースされました。レコーディングはコニー・プランク(Conny Plank)のスタジオです。そんなわけで、コレクターたちの間では、当初、彼らがドイツ出身という発想は全くなく、まさに正体不明のバンドでした。

 ユリュスに作品を残した理由は、恐らく1973年のフランス・ツアーで聴衆のウケがよかったので、二年間にわたって同国に滞在していたことに関連しているのでしょう。

 ちなみに、ユリュス(Urus)/ディジュンクタ(Disjuncta)は、1972年から1976年までの短期間に存在したフランスのレーベルです。ディジュンクタはエルドン(Heldon)のリシャール・ピナス(Richard Pinhas)によって設立され、その後継レーベルがユリュスというわけです。ピナスがコブラ・レーベル(Cobra)と契約することに伴って、ユリュスは閉鎖されます。

 ユリュス/ディジュンクタのカタログには、スキゾー(Schizo)、エルドン(Heldon)、アラン・ルノー(Alain Renaud)、ザオ(Zao)、NYLらの名前が並んでいます。レーベル側のとらえ方としては、エクスマグマを「ジャジーな実験バンド」と捉えていたことがわかりますね。


exmagma3.jpg


 1975年、彼らのサード『EXMAGMA 3』が企画されます。けれども、二枚組のコンセプトはユリュス側の都合によって、シングルLPに削られてしまいます。その方針は、バンドにとって受け入れがたいものでした。結果、お蔵入り。2006年にリリースされるまでは、その存在が人に知られる事はありませんでした。

 結成当時、農家の牛小屋でジャムってバンド構想を深めたそうです。日夜、牛小屋から聞こえたきたのがあの音だった・・・なんて恐いですね。地元の方は、一体どう感じていたのでしょうか。(笑)


Thomas Balluff / organ, electric piano, clavinett-c effects
Fred Braceful / sonor drums, percussion extraordinaire
Andy Goldner / fretless electric bass, electric guitar, alto sax, tape recorder


exmagma6.jpg



テーマ : プログレ
ジャンル : 音楽

第46話  Raspberries   『Fresh』 (1972) UK

今夜の一曲  Let's Pretend






 エリック・カルメン(Eric Carmen)の大ヒット曲「オール・バイ・マイセルフ」(All By Myself)(1975)。この曲は、「レッツ・プリテンド」(Let's Pretend)(1972)の「発展形」だそうです。エリック自身が、1991年のGordon Pogodaのインタビューで、そう語っていました。

 「All By Myself」は、最初に中間部のクラシカルなピアノ・ソロ(間奏)から書き始めたそうです。でも、最初の4小節が完成形に至るまでには、さらに2ヶ月を要したとのこと。


lets5.jpg


 問題は、その間奏を歌の中に組み込むことでした。次に浮かんだのがヴァース(Verse)の部分。お気に入りのラフマニノフの『ピアノ協奏曲第二番』(Rachmaninoff's 2nd piano concerto)を聞いていた時のことです。

 では、どんなコーラス(Chorus)をつけたら良いのか。ヒントを求めてラズベリーズ時代に書いた「Let's Pretend」を聞き返していました。そのコーラスの最初の部分をヒントに、ようやく曲の原型が完成します。

 まだ、歌詞と曲のタイトルが決まっていません。最終的にタイトルが「All By Myself」に落ち着くまでには、三つの候補があったそうです。インタビュアはエリックに、「採用されなかったタイトルは何だったか」と尋ねています。その返答は、「今は思い出せないけれども、12歳からの作曲の記録は全て保管しているので、きっとどこか箱の中にある」というものでした。

 ちなみに、「恋にノータッチ」(Never Gonna Fall in Love Again)も、お気に入りの『ラフマニノフの交響曲第二番』(Rachmaninoff's 2nd symphony)をベースにしています。ラフマニノフの感動的なメロディーを知らないままでいる人々に、その感動を届けたいとの思いで曲を書いたそうです。



lets.jpg


 エリックは「Let's Pretend」は、今まで書いた中でもベスト・メロディの一つだと語っています。この曲を作っていた頃、『TIME』誌の最新号が発刊され、その表紙にティーンの男女の写真があったそうです。

 特集記事が "Teen Sexuality"。そのカバー・フォトのメッセージ性が強力で、そのイメージをベースに曲作りをしたかった、とのこと。そこで、『TIME』誌をピアノの譜面立てに置き、イメージを膨らませたと言います。

 当時、丁度聴いていたのがビーチ・ボーイズの『PET SOUNDS』。「素敵じゃないか」(Wouldn't It Be Nice)の曲のイメージも頭にあったそうです。そういう意味では、『TIME』誌のカバー写真と、ビーチ・ボーイズにインスパイアされたのが「Let's Pretend」だと言えそうです。



lets3.jpg

 ラズベリーズ。ポール・マッカートニー(Paul McCartney)のメロディー・センス、ビーチ・ボーイズ(The Beach Boys)のハーモニー、ザ・フー(The Who)のギター・リフ、という喩えもなるほど。セカンド・アルバム『FRESH』(明日を生きよう)からのカット曲がこの「Let's Pretend」。エリックの面目躍如と言える曲です。

 発売当時、ハードロック(Led Zeppelin / the Gratful Dead)や、ブラスロック(Blood Sweat & Tears / Chicago)、プログレ(EL&P / Yes)全盛の音楽界。エリックは60年代の理想の音楽の後継者たらんと奮闘、シングルヒットを連発しました。

 バッドフィンガー(Badfinger)らと並んで、彼らがレールを敷いたパワー・ポップは、その後、チープ・トリック(Cheap Trick)、ナック(The Knack)らに引き継がれます。


lets4.jpg


 2歳半で就学前の幼児のための音楽レッスンを始め、5歳でバイオリンを習い始め、11歳にしてピアノで作曲を始めた早熟なエリック。

 15歳でビートルズ現象を体験しますが、当時彼が憧れたのは、レナード・バーンスタイン(Leonard Bernstein)や、ヘンリー・マンシーニ(Henry Mancini)、バート・バカラック(Burt Bacharach)& ハル・デイヴィッド(Hal David)などでした。16歳でバンド演奏に憧れますが、ポータブルのキーボードがなかったので、ギターを学び始めます。

 必ずしも声量のあるシンガーではありません。けれども、その甘く鼻にかかったような声質を活かしたドラマチックな歌唱は、多くのファンを魅了しました。その後、ラズベリーズでの主導権争いやトラブルから、ソロ活動に転身し成功を収めます。

 余談ですが、メロトロンが気になる人にとっては、『FRESH』収録の「オン・ザ・ビーチ」(On The Beach)はハズせないところでしょうか。でも、地味に使ってますね。エリックは「SEを導入した作曲をしたかったそうですが、エンジニアからは「そんな陳腐な・・・」と難色を示されたそうです。エリックは「波の音とかのSEが好きだから」と語っています。

 ラズベリーズのステージにはメロトロンが二台あったという情報があります。一台はサイド・ミュージシャン用でしょうか。


lets2.jpg


 というわけで、今夜の一曲は「Let's Pretend」。アルバムタイトルは何故か「I Wanna Be With You」の邦題に合わせて『明日を生きよう』でしたね。さあ、今夜はしっかり休んで、明日もまた頑張りましょうか。(笑)


Eric Carmen / vocals, rhythm guitar, piano
Wally Bryson / vocals, lead guitar
Dave Smalley / vocals, bass
Jim Bonfanti / drums


テーマ : 洋楽ロック
ジャンル : 音楽

第45話  Opus Avantra 『Introspezione』 (1974) Italy

今夜の一曲  Il Pavone


opus1.jpg


 ドネッラのおじさんは著名なテノール歌手。父もオペラ歌唱の先生。彼女は建築家への道を歩んでいました。大学の助手の口をオファーされながらも、最後の最後には音楽の道が諦められませんでした。そして、たどり着いたがこの世界。

 オパス・アヴァントラ(Opus Avantra)・・・作曲や指揮を一手に担うアルフレード・ティゾッコ(Alfredo Tisocco)のプロジェクトだと思われがちですが、実はそうじゃないんです。

 ジョルジオ・ビゾット(Giorgio Bisotto)と、ビゾットの友人でプロデュースを担当することになるレナート・マレンゴ(Renato Marengo)と、ドネッラ・デル・モナコ(Donella Del Monaco)。この三人が吹雪の夜にドライブしていて浮かんだコンセプト、ってのが真相。

opus3.jpg


 ビゾットのクレジット(philosopher / ideologist)だけで、既に怪しさ炸裂ですね。しかし、ドネッラが言うには、ビゾットは厳密にはミュージシャンではないものの、文化人で教養が深く、現代音楽への造詣が深かった。

 ビゾット、マレンゴ、ドネッラの三人は、クラシックの素養とジャズ、現代音楽、情熱的でエモーショナルな歌唱など、様々なカテゴリーの音楽を融合させる野望を抱きました。そして、プロデューサ(Car Juke Box?)(or 編集者)のトニー・タジナート(Tony Tasinato)に話を持ちかけます。

 タジナートが紹介したのが、ティゾッコだったのです。彼らはすぐに意気投合、OPUS(work)+AVAN(t-garde) +TRA(dition).を結成します。命名はビゾットでした。ティゾッコがメンバーを集めます。トニー・エスポジート(Tony Esposito)だけは、レコ-ディング直前に参集。

 彼らの理想を具体化するには、厳密なルールを持つクラシックの世界では勝負できないとみて、様式に寛容なロックのフィールドで勝負することを決めます。リハーサルはティゾッコの家や、僧院の小さな劇場を借りることにしました。

 既存の音楽に新しい切り口を与えようとする意欲的な試みは、新鮮なものでした。けれども、彼らの音楽は難解すぎて、どのレーベルからも拒否されます。他のグループの音楽性とは違いすぎたのです。最終的に「勇敢にも」彼らを引き受けたのは、マレンゴが引き合わせたトリデント(TRIDENT)レーベルでした。

 彼らのファーストは、グループ名の Opus Avantra と、Donella Del Monaco の名前でリリースされました。今では慣例として、1曲目のタイトル『イントロスペツィオーネ(内省)』の名で呼ばれているようです。

opus2.jpg


 近年、本作に絡んで、ステファーノ・アンドレオッツィ(Stefano Andreozzi)が興味深い指摘をしています。バックワード・マスキング(Backward Masking)についてです。

 オープニング曲の「イントロスペツィオーネ」“Introspezione”や「マーマレード」“La marmellata”の最後の「カリヨン」"carillon"の部分で、サブリミナル効果を狙うかのようにテープの逆回転が流れます。前者においては、古いドイツのミサの儀式の朗唱が逆回転になっています。こうした試みは、イタリアン・ロック(Rock Progressivo Italiano)では初めての試みだったようですね。

 この印象的なカバー・フォトについても触れておかねばなりません。ウンベルト・テレスコ(Umberto Telesco )による、悪夢を再現するかのようなカバー。サウンド・イメージをそのまま視覚化したかのような秀逸なスリーブ・デザイン。彼の代表作を以下にあげておきます。誰もが納得するマスターピースばかりですね。

Alan Sorrenti "Aria" (1972)

al.jpg


Alan Sorrenti "Come Un Vecchio Incensiere All'alba Di Un Villaggio Deserto" (1973)

al2.jpg


Saint Just ‎ "Saint Just" (1973)

sj.jpg


Saint Just ‎ "La Casa Del Lago" (1974)

sj2.jpg


 さて、彼らは決してレコーディング・バンドなどではなく、本拠地のヴェネト(Veneto)やローマ(Roma)で活発にステージ・アクトも行いました。

 セカンド・アルバムの『クロムウェル卿の奏する7つの大罪の為の組曲』(Lord Cromwell Plays Suite For Seven Vices)(1975)はドネッラ不在の作品。それでもティゾッコとドネッラのコラボは、その後も2008年の再編まで継続することになります。

 今夜の一曲、"Il Pavone"(イル・パヴォーネ)とは「孔雀」のことで、愛する男(ひと)の比喩として歌に登場します。

 『内省』・・・内容的にはピンと張り詰めた室内楽アンサンブルにドネッラの官能的なソプラノが乗るフォーマット。ただ、それが一筋縄ではいかない。美と狂乱のはざまで覚醒と昏迷を繰り返す様は、まさに比類なき世界。

 トリデント系の諸作が日本で大挙発売される以前に、縁あって入手し、衝撃を受けまくった私。以来、かれこれ四半世紀は聞いてきた勘定になります。儚い美しさと、狂気渦巻く特異な音空間はクセになりますね。


opus4.jpg


 <追記> ビゾットはドネッラの夫でしたが、2011年7月、69歳で逝去されました。RIP



Donella Del Monaco / vocals
Alfredo Tisocco / keyboards, tastiere
Luciano Tavella / flute
Enrico Professione / violin
Pieregidio Spiller / violin
Riccardo Perraro / cello
Pierdino Tisato / drums
Tony Esposito / percussion, strumenti, effetti


テーマ : プログレ
ジャンル : 音楽

ゲスト・ブック
Profile

ticca

Author:ticca
 音楽ネタを中心とした雑記帳です。

 60年代後半から70年代にかけてのワールドワイドなロック、ポップス、プログレ、アシッド、サイケ、フォーク、ジャズロック、ジャズなどの話題を主に、ひっそりメモってます。

 それぞれの記事はその時々のフィーリングで書いていますが、基本形はある曲をきっかけに感じた雑感が題材になっています。

 私は単なる音楽愛好家ですので、記事に関しては、思い込みや勘違いがたっぷりあることかと思います。その点はご容赦願います。もし、お気づきの点があれば、ご指摘下さい。

 個人的に思い入れのあるものを主に綴っていますので、マイナーかつ気まぐれなセレクション、お許し下さい。

 それでは、今宵の音楽夜話におつきあい下さい。

カレンダー
08 | 2014/09 | 10
- 1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 - - - -
カテゴリ
最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
最新トラックバック
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR