第77話  Dionne Warwick 「Do You Know The Way to San José / Let Me Be Lonesome」 (1968) U.S.

今夜の一曲 Do You Know The Way to San José


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 昨年(2013)年3月、ディオンヌ・ワーウィックが自己破産したというニュースが流れ、世界中のディオンヌ・ファンが深いため息をついた。

 グラミーの受賞回数5回、ビルボードHot 100 Pop Singlesに送り込んだヒット40曲など、彼女の偉業を語るデータには枚挙にいとまがない。これまでに全世界で1億枚以上のアルバム・セールスを挙げてきた事でもわかるように、彼女は60s~80sに絶大な人気を誇る女性シンガーだった。

 ニューヨークのレコーディング・スタジオでドリフターズ(The Drifters)のバック・コーラス(「Mexican Divorce」のレコーディング)を務めていたとき、バート・バカラック(Burt Bacharach)の目に留まったのが、デビューのきっかけ。その後は歴史が語る通りだ。

 1963年のデビュー以来、バート・バカラック=ハル・デイヴィッド(Burt Bacharach = Hal David)という優れたソング・ライティング・チームに支えられ、続けざまにヒットを連発する。エスニック的にはグラミーを受賞した最初のアフリカン・アメリカンの女性シンガーという事になるだろう。


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 さて、彼女の破産申請だが、ニュージャージーの破産裁判所に提出した申告書によると、彼女の総資産はわずか$25,500だったというから驚きだ。その内容はと言うと、たとえば毛皮のコート二枚だとかダイヤのイアリングとかがリストに挙がっている。不動産資産も含め、彼女は現在、どんな生活を強いられているのか。

 もともと、今回の自己破産は1991年に遡る財務管理の不行き届きが原因らしく、負債総額は$10,700,000!これらの額を国税庁(IRS)やカリフォルニア州(FTB)に対する税負債(事業税?)という形で滞納していた。

 この額に含まれるかどうかわからないが、弁護士やビジネス・マネージャに対する負債も計上されている。どうやら滞納していた税金自体は全て返済されたようだが、滞納に伴う利息や罰金、手数料などを考慮すると負担額は驚くほど膨大だ。

 ディオンヌ側は返済計画を提示したものの、行政に受け入れられるレベルではなかったようで、けっきょく納税の督促に追いつかずに自己破産に踏み切った。まったく悩ましい話である。

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 彼女の業績として、忘れてはならないことがある。それは、AIDS基金へのチャリティー活動に象徴される社会貢献だ。スティーヴィー・ワンダー(Stevie Wonder)やエルトン・ジョン(Elton John)、グラディス・ナイト(Gladys Knight)らとのコラボ盤が大ヒット。

 その300万ドル超の収益は、全額AIDS研究財団に寄贈された。この曲こそが、バカラック&キャロル・ベイヤー・セイガー(Carole Bayer Sager)組が制作した「愛のハーモニー」(That's What Friends Are For)(1985)だった。

 さて、「Do You Know The Way To San José」に話を戻そう。この曲は、最初に出来上がったのがバカラックのメロディで、それにデイヴィッドの詩が伴って完成した。サンノゼというのは、デイヴィッドが海軍時代に駐留した街だった。ディオンヌにとって最初のグラミー曲。だが、本音を言えば彼女はこの曲は気に入らなかったようだ。


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 私がこのを好きな理由は、思いっきり個人的なものだ。中学生時代にオヤジに買ってもらったラジカセ付属のデモンストレーション・カセット。そこにこの曲のインストが収録されていた。酸いも甘いも想い出がいっぱい詰まった曲、というわけだ。

 もう一つの理由は、曲中の主人公の描かれ方にある。大志を抱きつつ、夢破れて故郷に戻る悲劇の主人公。しかし、そこにあるのは落胆や絶望ではなく、不思議に諦念と安息と希望に満ちている。その心象を映してか、曲想も明るくキラキラしている。まるで天上から光の粒子が降り注ぐようなサウンドと唱法。どこを切り取ってもマジカルでファンタスティックだ。

 自己破産後の2013年7月、来日してブルーノート東京でゴージャスな2daysコンサートを開いたディオンヌ。いつまでも、きらきら輝いていて欲しいものですね。


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 さて、次回は再びイタリアへ。政治犯罪者の歌です。
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第76話  Mama Lion 『Preserve Wildlife』 (1972)U.S.

今夜の一曲 Mr Invitation


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 レコードを買うのに対面販売が基本だった時代、私のような純情な青少年にとっては、女性店員からはどうしても買えないブツがあった。ボクサー(Boxer)の『Below The Belt』(陶酔のボクサー)(1976)や、スコーピオンズ(Scorpions)の『Virgin Killer』(狂熱の蠍団)(1976)の二枚などは、タイトルまでイヤらしかった。

 ママ・ライオンの『Preserve Wildlife』は、インナー・スリーヴがむき出しだったら絶対買えなかっただろう。ママ・ライオンが赤ちゃんライオンにミルクをあげるのは当たり前の行為だろうが、これはちょっと嬉しい反則技である。『Preserve Wildlife』というタイトルのイメージを安直に絵にしただけだが、それも楽しい70sだった。


Mama Lion - Preserve wildlife(1972)


 ブルージーなヘヴィ・ロックを得意とするママ・ライオンだが、このリン・ケアリー(Lynn Carey)(vo)と、ニール・メリーウェザー(Neil Merryweather)(b)の共作曲はちょっと違う趣で迫る。ジェームス・ニュートン・ハワード(James Newton Howard)のピアノに導かれるハードな曲想だが、プログレッシヴなキーボード・ソロや、ヘヴィなギター・リフに絡むリンのシャウトが心を揺さぶる。

 ママ・ライオンは、メリーウェザーのヘヴィ・クルーザー(Heavy Cruiser)にリンを加えた編成で、本作『Preserve Wildlife』を発表。翌1973年には2nd 『Give It Everything I've Got』をリリースしている。

 リンの本名はキャサリン(Catherine)で、60s半ばからTVショーや映画の女優、サントラの歌手、モデルとして華々しく活動してきた。ママ・ライオンの活動時期と重複する時期、ペントハウス・ペット(Penthouse誌のPet Of The Month)に選ばれるほどのブロンド・ビューティだった。

 彼女の音楽活動はCKストロング(C.K. Strong)(1969)に遡る。この時期の彼女の唱法は、ジャニス・ジョプリン(Janis Joplin)や、キャシー・マクドナルド(Kathi McDonald)のクローンだった。それはそれで魅力なのだが、真価を発揮するのは、後年ジャズに傾倒して円熟味を増してからかもしれない。

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Front Cover copy


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 ママ・ライオンは、カナダ国籍のニール・メリーウェザーが顔役のバンドだったが、看板娘のリンなくしては成立しえなかった。また逆に、リンの個性にメリーウェザーのプロデュースによるサイケ感とドライブ感のあるサウンドがドロリ絡んでこそ、初めてリンの歌唱も映える。

 日本盤のママ・ライオン『消えゆく太陽』は、むき出しスリーブだった。早熟な友人のCHさんは、店頭のお姉さんから普通に(?)これを買ったそうだが、半熟な私ではとても買えなかっただろう。


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 そんなむきだし日本盤シングルも価値あるけど、オリジナルのアルバム・カバーが気になる存在。動物の檻がダイ・カット(くりぬき)になったゲート・フォールド仕様がその理由だ。CHさん情報だと、日本盤はシングル・スリーブだった。

 私はお子ちゃまなので、ダイ・カットがゆえに、ますますオリジナル仕様にそそられる。困ったもんだ(私は変態か!?)。だが、ファミリー(Family)の『Bandstand』とか、レッド・ツェッペリン(Led Zeppelin)の『Physical Graffiti』にしても、あれじゃなきゃ価値が減じてしまう。

 さて、本作のクレジットを見てみると、裏面の集合写真は名うてのEd Caraeff。問題のインナーがMaria Del Réのフォト。そしてもう一つ気になるのが檻枠のデザインだ。クレジットにはArt DirectionとDesignの二つの記載がある。前者はBill Levy。後者はあのFred Marcelllinoだ。

 私の想像ではマルセリーノが檻枠のデザイン担当だったのではないか。そして全体のアルバム・デザイン構想がレヴィ。マルセリーノと言えばジュリアン・ジェイ・サヴァリン(Julian Jay Savarin)の『Time Before This』US Decca盤のイラストを担当した人だった。
<第20話 Julian's Treatment 『A Time Before This』  (1970) UK 参照>


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 いずれにしても、安易なシングル・スリーヴ化は、アルバム自体のコンセプトを台無しにしてしまう。これでは、Art Directionのレヴィも、Designのマルセリーノも、そして当の本人達、ママ・ライオンも涙の海に沈むだろう。

 さて、You Tube恐るべし。こんな映像がある・・French TVのジルベール・ベコー・ショー(Gilbert Bécaud Shoiw)に出演した時のものだが、これってまさかリン本人のアカウントなんだろうか。

 リンが赤ちゃんライオン抱っこしてる。あれだけダイナミックにシャウトしているのにライオンちゃんは不動の姿勢を崩さない。ライオン君は果たして何デシベルまでの騒音に耐えられるかの社会実験である。いやはや、世の騒音・雑音に動じぬ姿は、さすが百獣の王にふさわしい。最初は「ぬいぐるみかよ」って思ってたけど、最後にもぞもぞ動き出してびびった私。

 でも、ピアノ以外の奏者不詳のキーボードも聞こえるし、やっぱり今はやりの口パク疑惑か?まぁ、話題提供に事欠かない人たちですよね(笑)

 対面販売じゃなくても、今や通販で音が買える時代。顔を赤らめてレジに向かっただろうあの日のノスタルジア。遠い彼方の物語である。




Neil Merryweather - bass, backing vocals
Lynn Carey - vocals, backing vocals
James Newton Howard - backing vocals, keyboards
Rick Gaxiola - guitar
Coffi Hall - drums




 次回の音楽夜話は、全世界で1億枚以上のアルバム・セールスをあげながらも自己破産してしまった「悲劇のディーヴァ」がヒロインです。

テーマ : 洋楽ロック
ジャンル : 音楽

第75話  Mellow Candle 「Feeling High / Tea With The Sun」(1968)U.K.

今夜の一曲 Feeling High


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③<メロウ・キャンドル ~ 光と影>

 第72話で棚上げだった「クロダー・シモンズ(Clodagh Shimonds)がヴァージン・レコードの社長秘書をしていたかどうか」の答えですが、正解はYesでした。

 当時クロダーは心身ともにズタボロ状態だったようです。でも、これは彼女に限った事ではありません。

 メロウ・キャンドルの歴史をひも解いてみましょう。1968年8月、1st シングル『Feeling High / Tea With The Sun』リリース。1971年12月に『Swaddling Songs』をレコーディング。1972年4月リリース。そして1973年には解散に至っています。


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 解散に先立ち、フランク・ボイランが脱退したという話をしましたが、その理由は、実は宗教がらみでした。チック・コリアの記事(第29話)でも触れましたが、サイエントロジー(Scientology)への入信です。

 宗教が人を結びつけることもあれば、逆に、人を分かつこともある。メンバーがディープに信仰にのめり込む中、ボイランは、それを嫌って脱退の道を選んだのです。その代役がスパイロジャイラ(Spirogyra)のスティーヴ・ボリル(Steve Borrill)だったわけです。バンドは再起を図ろうとしてメロウ・キャンドルの名を返上し、Grace Before Spaceと改名します。

 しかし、デラム(Deram)はバンドを後押しするでもなく、ただただ放置。おまけにメンバーの音楽性の違いも表面化してきます。マネージャを欠き、ギグもなく、活動をプッシュしてくれるはずのレーベルにも見放され、バンドは借金まみれで火だるま状態。この段階に至っては、メンバーはそれぞれの道を歩むしかなかったのでしょう。


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 アリソンは後に「10歳から共に音楽活動を共にしてきたクロダーと別れねばならなかった悲しみは、計り知れないものだった。」と述べています。

 クロダーもメロウ・キャンドルでの活動に疲れ、傷ついていました。「自分の信念や情熱に忠実でありながら、同時に誰も傷つけないことは可能なのでしょうか?」と彼女は自問しています。

 音楽業界から離れたいという無気力の中、クロダーはヴァージン・レコード(Virgin Record)の代表であるリチャード・ブランソン(Richard Branson)の個人秘書を務めます。

 そんな中、マイク・オールドフィールド(Mike Oldfield)の『ハージェスト・リッジ』(Hergest Ridge; 1974)や『オマドーン』(Ommadawn; 1975)にヴォーカリストとして招かれます。オマドーンという造語もマイクと共に考えました。こうした活動を通じ、クロダーは重い腰を上げ、音楽を続ける勇気を得たようです。


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 メロウ・キャンドル解散前後の72~76年の彼女の活動をまとめてみると、マイク・オールドフィールド以外では、シン・リジーの2nd『Shades of a Blue Orphanage』(1972)(クロダーはharpsichord, keyboards, mellotron)(当時のメンバーはPhilip Lynott、Eric Bell、Brian Downey)(このあたりの人脈は面白くて、3rd『Vagabonds of the Western World』(1973)には、2曲にJan Schelhaasが参加している)、ジェイド・ウォリア(Jade Warrior)の『Kites』(1976)等への参加など。

 1976年には音楽活動の場を求め、元メロウ・キャンドルのウィリアム・マレイ(ds)とニューヨークへ。その後1986年まで、10年間に渡ってニューヨークで活動します。

 再び英国に戻ってからは、マイク・オールドフィールドの『アマロック』(Amarok; 1990)や、Fovea Hexとして3枚のEPをリリースし、ブライアン・イーノ(Brian Eno)、ロバート・フリップ(Robert Fripp)らとコラボしていいます。

 ウィリアム・マレイはメロウ・キャンドル解散後、ケヴィン・エアーズ(Kevin Ayers )、アメイジング・ブロンデル(Amazing Blondel )、マイク・オールドフィールドの『オマドーン』、マイク・オールドフィールド & デヴィッド・ベッドフォード(David Bedford)の『オーケストラル・チューブラー・ベルズ』(The Orchestral Tubular Bells; 1975)、ポール・コゾフ(Paul Kossoff)などと活動。


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 1976年にはクロダーと共にニューヨークへ。彼の場合は、その後現地に20年滞在することになりました。

 前回まとめたように、フランク・ボイラン(b)はゲイリー・ムーア・バンドへ。アリソンとデイヴ・ウィリアムス(g)夫妻は、南アフリカでフリバーティジベット(Flibbertigibbet)を結成することになる。

 アイルランド、ダブリン出身の愛くるしいプログ・フォーク・バンド、メロウ・キャンドル。彼らのキャリアには幾多の浮沈がありました。けれども、その幽玄で儚(はかな)いサウンドは、かげろうのゆらめきに似て、かけがえのない存在に思えますね。


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 さて、次回の音楽夜話は、ライオンの赤ちゃんに授乳してしまうという、強烈な女子が登場します。

第72話 ①<ゲイリー・ムーアとメロウ・キャンドルを結ぶ糸> へ
第73話 ②<アリソンの四つの姓の謎を解く> へ 

テーマ : プログレ
ジャンル : 音楽

第74話 Rita Lee  『Build Up』 (1970) Brasil

今夜の一曲 José(Joseph)


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 単なる小生意気な不良娘と思ってたけど、やることなすこと半端じゃない。軍政に反発して、サンパウロの水道施設にLSDをぶち込もうとしたって言うキナ臭い話もある。(真偽不明なり^^;)

 それでも彼女の逸材ぶりに、御大ジョアン・ジルベルト(João Gilberto)は自らヒタにアプローチして、TVショーで共演しているし、唐辛子の姉御エリス・ヘジーナ(Elis Regina)は彼女に敬意を表し、娘にマリア・ヒタ(Maria Rita)という名前までつけた。

 ヒタ・リー(Rita Lee)のソロ・デビュー作『ビルド・アップ』(Build Up)(1970)。カルト人気を誇るアルバムだが、当時のセールスはさっぱりだった。せいぜいジョルジュ・ムスタキ(Georges Moustaki)/ナラ・レオン(Nara Leão)による「José (Joseph)」のカバー・シングルが、そこそこ注目された程度だった。

 アルバムの中味はフレンチ・ポップスだったり、ミュージカルぽかったり、ビートルズをパロったり、ハワイアン飛び出したり、かと思えばタンゴのリズムが鳴り響いたりで、よくわかんない。それがまさに魅力か。(笑)。


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 ブラインド・テストしたらサンディ・ショー(Sandie Shaw)か、ブリジッド・バルドー(Brigitte Bardot)か、はたまたフランソワーズ・アルディ(Françoise Hardy )かって思う曲まである。

 オケのアレンジは、達人ホジェリオ・ドュプラーチ(Rogério Duprat)、プロデュースは当時のパートナーのアルナウド・バプティスタ(Arnaldo Baptista )で、コーディネータがマヌエル・バレムベム(Manoel Barembem)。

 マヌエルは、ガル・コスタ(Gal Costa)、カエターノ・ヴェローゾ(Caetano Veloso)、ジルベルト・ジル(Gilberto Gil)、ナラ・レオン(Nara Leão)、ジョルジュ・ベン(Jorge Ben)、シコ・バルケ(Chico Buarque )らのプロデュースを歴任する腕前。

 『今日は残りの人生最初の日』(Hoje O Primeiro Dia Do Resto Da Sua Vida)(1972)は、ヒタがオス・ムタンチス(Os Mutantes)脱退前夜に残したソロ第二作目だ。当初は、ムタンチスのアルバムとして考えていたらしい。しかし、レーベルとの折り合いがつかず、ヴォーカルをヒタに任せた上で、彼女のソロ作としてリリースされた。こいつがまた激レアで、$1000の値がついたりする。


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 タイミングとしては、『ボーレの国のムタンチスと流れ星たち』(Mutantes e Seus Cometas no País do Baurets)(May 1972)直後のリリース。レーベルとしては、1年たたずしてリリースを連投することは避けたかった。しかし、クリエイティヴな意欲に満ちていたセルジオとアルナウド兄弟にとって、そんな制約は煩わしいばかりだった。

 こうしてリリースされたのがヒタのセカンド・ソロ(Sept 1972)。日本盤のタイトルは『今日は残りの人生最初の日』。「なんじゃ、それ」って感じですよね。

 ところが、あるきっかけで、その意味するところが見えた。勿論、正解かどうかわかんないけど。

 英訳すると『Today is the first day of the rest of your life』となる。実は、これグリーティング・カードなどに印刷されてる有名な文句なんです。でも、本来は「薬物の依存患者に、再起を促すスローガン」だったようだ。


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 この言葉を最初に使ったのは、チャールズ・ディードリッヒ(Charles Dederich)というアメリカ人。チャールズは、1958年にカリフォルニアでヘロイン依存患者の救済機関Synanon(シナノン)を設立した人だ。ディードリッヒ自身について調べてみると、結構訳ありだったりするが、ここでは深く立ち入りません。

 スローガンが意味するところは、「過去を振り返らずに、今日を人生の新しい出発点にする」ことを呼びかけたもの。要するに「いつやり直しても遅すぎることはない」「一日一日を大切に生きよう」ということ。で、1960年代アメリカで流行した格言だ。アカデミー受賞の映画『アメリカン・ビューティー』(American Beauty)(1999)でも引用されている。

 ま、いずれにしても当時のオス・ムタンチスがクスリまみれだったことを考えると、あながちムシできない推測だと思うのだが、果たして・・・

 このソロ第二作のタイトル曲は、アブストラクトなSEで始まる。歌詞カード見ても、猥雑(わいざつ)なコトだけはわかるけど、意味があるようでないようで、ヒタの巧妙な企みが見えてこない。単に自分たちをパロったのか、それとも世相をシニカルに捉えたのか。

 ま、謎は謎ですね。


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Rita Lee - vocals
Arnaldo Baptista - Composer, Musical Direction, Producer
Sergio - bass guitar
Alexander Gordin - guitar
Diogenes - drums
Rogério Duprat - Arranger, Orchestral Arrangements
Manoel Barenbein - Project Coordinator

それでは、次回はメロキャン・ネタの最終回。<メロウ・キャンドル~光と影> と題して・・・


第44話 Os Mutantes  『Jardim Eletrico』 (1971) へ

テーマ : 女性アーティスト
ジャンル : 音楽

第73話  Mellow Candle 『Swaddling Songs Plus』 (1972) U.K.

今夜の一曲 Silver Song


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②<アリソンの四つの姓の謎を解く>
     - ウィリアムズ? オドンネル? ブールズ? ブラウワー?

 ファンを狂喜させたボックス・セットの内容は、『Swaddling Songs』『Demo's & Early Works』そして二枚の7インチシングル「Feeling High / Tea With The Sun」、「Dan The Wing / Silversong」という構成でした。とりわけ7インチ盤の復刻に、至福の表情のマニアも多かったことでしょう。

 さて、前回からの行きがかり上、メロキャンねたをもう一つ。メロキャンなどとため口叩きましたが、恐らく縁もゆかりもない私に、そんなふうに呼ばれるのは彼らにしたらハタ迷惑でしょうね。彼らが日本語に堪能でないことを祈りつつ・・・


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 今回は、クロダーとヴォーカルを分け合っているアリソンについてスポットを当てます。彼女の名前は『Swaddling Songs』(抱擁の歌)には、Alison Williamsとクレジットされています。ところが、wikiにはアリソン・オドンネル(Allison O'Donnell)の名前でエントリーしているのです。O'Donnellという呼称が何に由来するのか、これは積年の謎でした。

 ある資料にはO'Donnellはアリソンの旧姓と書いてある。いやぁ、そんなことはないでしょう。少なくとも彼女の誕生名はアリソン・ブールズ(Alison Bools)だ。それがWilliamsという姓に替わったのは彼女が結婚してからのはず。

 で、その結婚相手はご想像の通りで、メロキャン(あ、またタメ口)のギタリストであるデイヴ・ウィリアムズ(Dave Williams)でした(過去形)。あるウェブ・ページには、アリソンとデイヴの二人は兄妹だと書いてありました。いくら何でも、これは誤認でしょう。兄妹で結婚するのはいくらなんでもタブーだし(汗;)。


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 バンド解散後、アリソンとデイヴは、南アフリカのヨハネスブルグを目指しました。そこで顔を合わせたメンバーらと、新たにフリバーティジベット(Flibbertigibbet)を結成します。あのティア・ナ・ノーグ(Tír na nÓg)のペンになる「Mariner Blues」に幾度となく昇天したものです。あ、普通、昇天は人生に一回限りですがね。

 そのアルバム・クレジットはAlison Williamsではなく、Alison O'Donnellだったように記憶しています。アリソンは後にデイヴと決別し、Williamsの姓を捨て、新しい伴侶のBrowerという姓を得ます(1986)。そう考えると、Bools(1952)→Williams(1972)→Brower(1986)という流れが正解なのでしょうか。


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 それでは一体、O'Donnellという姓はどこから来たのでしょう・・・どうやら、O'Donnellというのは彼女のビジネス上の通称名のようです。最近見つけた資料によると、O'Donnellとはアリソンの母親のメイドン・ネーム(Maiden Name)らしいことがわかりました。アリソンはフリバーティジベット以降、一貫してこの名前のもと、活動しているのでしょうか。





 さて、次回はメロウ・キャンドルの話はちょっとお休みです。オス・ムタンチス(Os Mutantes)のヒタ・リー(Rita Lee)のソロ・アルバムを引っ張り出してきます。

 というわけで、次回は、ヒタ・リーの音楽に、ひた・りーましょう!(苦笑)


第72話 ①<ゲイリー・ムーアとメロウ・キャンドルを結ぶ糸> へ
第75話 ③<メロウ・キャンドル~光と影> へ

テーマ : プログレ
ジャンル : 音楽

第72話  Mellow Candle 『Swaddling Songs』 (抱擁の歌) (1972) U.K.

今夜の一曲 Sheep Season


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①<ゲイリー・ムーアとメロウ・キャンドルを結ぶ糸>

 驚いた。ゲイリー・ムーア・バンド(The Gary Moore Band)のメンバーに、フランク・ボイラン(Frank Boylan)(b)の名前があるではないかっ!知らなかった~。ボイランはメロウ・キャンドルのベーシストだった。メロウ・キャンドル脱退後、彼は短期間ながら、ゲイリー・ムーア・バンドに参加していたのだ。(1972.7~12??)

 かたや、ボイランに代わってメロウ・キャンドルに参加したのは、何とあの、元スパイロジャイラ(Spyrigyra)のスティーヴ・ボリル(Steve Borrill)だった。全く度肝を抜かれる。

 しかし、バンドを立て直そうとするも、ひたすら売れなかったメロウ・キャンドルは解散を余儀なくされる。

 このバンドの顔は、フェアリー・ボイスの二人、クロダー・シモンズ(Clodagh Simonds)とアリソン・ウィリアムズ(Alison Williams)の二枚看板だ。聞く者を天上の世界に誘う二人の天使の歌声は、まさに英国プログ・フォークの至宝。


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 しかも、彼女たちは歌声を提供するだけでなく、作曲にも大きく貢献しているし、シモンズ嬢のリリカルなピアノ・プレイに頭くらくらである。

 勿論、アルバムの輝きは決して彼女たちだけの功績ではない。デイヴ・ウィリアムズ(David Williams )(g)、フランク・ボイラン(Frank Boylan)(b)、ウィリアム・マレイ(William Murray)(ds)らの巧妙なバッキング。これが、二人の愛くるしいヴォーカルにうまく溶け合い、独自の幻想的な世界を紡ぎ出していく。これぞまさに、バンドの不思議なケミストリーだ。

 私がこの『抱擁の歌』(Swaddling Songs)(1972)のサウンドに触れたのは、EdisonのERC再発(CD)だったので、時代的には随分遅くて1989年。それまでは、まさに噂先行の孤高のアルバムだった。

 一度、原盤を手にしてみたかったが、さすがプライスも怪物なみ。「お安くしときまっせ」と言われても、2000ポンド(37万円)ですからね。Record Collector見ると、M-/M-のミント・コピー(中古盤として良好状態)で8900ユーロ(130万円)だった!オリジナルに取り憑かれたら、当分はホームレス街道一直線だ。


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 そこであっさり諦めて、怪しい再発モノに手を出した。こいつがゲート・フォールドでも何でもない代物。シングルジャケの裏面には哀れ、バーコードまでついている。ちなみにメイド・イン・EECのSDL7番ってやつ。でも、おかしいな。SDL7ってのはデッカ盤オリジナルのロット番号じゃなかった?

 その、いかがわしいレコードを手に取ってみると、ジャケ裏の貼り合わせ面の糊がぶわ~ってはみ出てる。カウンターフィート(模造品)特有の怪しさ大爆発だが、それでも一応DERAM(レッド&ホワイトのバージョン)と書いてあってカッコいい。余談ながらDeramってのはNova同様、Decca傘下の濃い実験的レーベルだったね。

 LPサイズだといいこともある。表ジャケの右側中央にあるイラストレーターのW. David Ansteyのサインもデザインの一部だと思うし(ジャケ裏はW.D.Aの記載)、内ジャケのメンバー写真や歌詞も、あのサイズでこそ生きてくる。世間では、これを自己満足と言う。ひひひ。

 友人は、数年前に出たリイッシューの二枚の7"シングル欲しさにBox Set買ってる。そりゃ、なかなかモノホンにはお目にかかれませんしね。


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 クロダー・シモンズはメロウ・キャンドルに参加した時、まだまだケツの青い11才だった。あ、いや、さすがに英国人には蒙古斑はないと思われますがね。

 1stシングルの「Feelin' High/Tea With The Sun」(1968)の頃で15歳。ってことは『Swaddling Songs』で18~19歳かぁ!エディ・ジョブソンもびっくりですね。(意味不明)

 クロダー・シモンズはメロウ・キャンドル解散後、ヴァージン・レコード(Virgin Records)の社長であるリチャード・ブランソン(Richard Branson)の秘書をしていたって噂もある。ホントでしょうか?

 私が聞き及んでいるのは、クロダー・シモンズは、南アフリカに移住したアリソン&デイヴィッド組とは異なって、英国に根ざした活動にこだわったこと。でも、彼女はマイク・オールドフィールド(Mike Oldfield)と仲良くしてたから、ひょっとしたら、ヴァージン秘書説もあながち・・・

 次回はこのあたりの曖昧なところを白黒つけましょう。


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Frank Boylan / bass
William Murray / drums
Clodagh Simonds / vocals, keyboards
Alison Williams / lead vocals
David Williams / guitar, vocals





第73話 ②<アリソンの四つの姓の謎を解く> へ
第75話 ③<メロウ・キャンドル~光と影> へ

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第71話  Colosseum II 『Electric Savage』(エレクトリック・サベージ)(1977) U.K.

今夜の一曲 Put It This Way


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 コロシアムなのか、コラシアムなのか面倒なので、英語表記しますが、ご異議はございませんでしょうか。(なんと民主的な私)

 Colosseum IIの構想自体は既に1974年11月に出来ていたのに、メンバーはジョン・ハイズマン(Jon Hiseman)とゲイリー・ムーア(Gary Moore)しか決まっていなかった・・・という裏話には驚きますねぇ。それに伴って、デビューに向けて予定されていたリハも延期。1975年も半ばになって、ようやくメンツが確定というありさま。

 ここに至るまで、そうそうたる連中がチーム候補に上がってました。一例を挙げると、ベル+アーク(Bell + Arc)とか、エヴリィ・ウィッチ・ウェイ(Brian Davison's Every Which Way)を経たグラハム・ベル(Graham Bell)。コックニー・レベル(Steve Harley and Cockney Rebel)で活動することになるダンカン・マッケイ(Duncan Mackay)。Colosseum、ユーライア・ヒープ(Uriah Heep)、テンペスト(Jon Hiseman's Tempest)を経たマーク・クラーク(Mark Clarke)(後にRitchie Blackmore's Rainbowへ)らが候補だったというから、どひゃーです。

 最終的にはボスのジョン・ハイズマン(ds)、ドン・エイリー(key)(Don Airey)、ゲイリー・ムーア(g)、ニール・マーレイ(b)(Neil Murray)(何とGilgameshから)、マーク・スターズ(vo)(Mike Starrs)に本決まり。やがてベーシストがジョン・モール(John Mole)にすげかわる。


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 セカンド『Electric Savage』(1977)は、ファースト『Strange New Flesh』(1976)にフィーチャーされていたヴォーカリストのマーク・スターズが、ルシファーズ・フレンド(Lucifer's Friend)へ去ったために、基本的にインスト・アルバムに仕上がったのでしょうか。

 そもそもルシファーズ・フレンドのジョン・ロートン(John Lawton)が、デヴィッド・バイロン(David Byron)の後任としてユーライア・ヒープに引き抜かれたため、スターズはロートンの後釜としてルシファーズ・フレンドに加入している。こりゃ、玉突き現象ですかね。

 学生時代、下宿の近くの愛くるしいほどかび臭い中古盤屋で、本家Colosseumの影を求めて、本作を購入。あまりにポップなジャケットをまとって胡散臭さも感じたけど、実際、針を落として飛び出した音は、全く違ったベクトル。これが良い意味で期待を裏切ってくれた。

 Colosseumのドロドロごりごりした音とは無縁の洗練された音。取り付かれたような疾走感に結構ハマった記憶がある。まぁ、私は自他共に認めるミーハーなのだ。当時は、まだ若造だったし。ハイ・テンションのインタープレイの応酬はアドレナリンだだ漏れ状態。ハイパー・ジャズ・ロックの波状攻撃に、思わず失禁しそうになった事を告白しておこう。


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 サードの『War Dance』(1977)も基本的に同路線の快作だったけど、ムーアがシン・リジー(Thin Lizzy)に浮気し、エイリーもレインボウ(Ritchie Blackmore's Rainbow)へと離脱。

 傷心のハイズマンは妻バーバラ・トンプソン(Barbara Thompson)の音楽活動をサポートしたり、アンドルー・ロイド・ウェバー(Andrew Lloyd Webber)の『ヴァリエーション』(Variations)(1978)や、大ヒット・ミュージカル『キャッツ』(Cats)(1981)などに参加して気を吐く。

 ハイズマンはもともと、再編グラハム・ボンド・オーガニゼーション(The Graham Bod Organisation)に参加して以来、一環してジャズ・フュージョン構想を追求し、Colosseumやテンペストを通じて理想の音楽を追い求めてきた。


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 振り返ってみるとColosseum IIのメンバーのリクルートに関しては、ムーアはスキッド・ロウ(Skid Row)、エイリーはコージー・パウエルズ・ハマー(Cozy Powell's Hammer)で活動してきたとは言え、当時二人は、ほぼ無名のミュージシャンだった。

 そう考えると、ハイズマンはうまく彼らを育て上げたと言える。いや、勝手に育ったのか?だが、グループ自体の認知度は、米国ではあらかた無名であり、むしろ本国やヨーロッパでこそ人気があったのも事実だろう。

 補足ながら、ムーアはスキッド・ロウの後にゲイリー・ムーア・バンド(The Gary Moore Band)として『Grinding Stone』(1973)というアルバムを世に問いましたね。ムーアの人気が高まるにつれ、これがレア・アイテム化して高値だったらしい。一時期は25,000円程度で取引されたようだが、その後の再発で一気に値崩れ。今ではオリジナル盤でも5,000円ほどに落ち着いたそうですよ。

 友人のCHさんは、当時、廃盤だったイギンボトム(Igginbottom)のレア盤『Igginbottom's Wrench 』(1969)が入手できたので、喉から手が出るほど欲しかった未聴のゲイリー・ムーア・バンドの『Grinding Stone』とトレードしてもらったとか。

 このバンドはヤン・シェルハース(Jan Schelhaas)(元National Head Band)が中心メンバーの一人だったので、食指を伸ばしたコレクターも多かった。私などは、初めてヤン・シェルハースの名前を拝んだのがキャラヴァン(Caravan)の『Blind Dog At St. Dunstans 』(聖ダンスタン通りの盲犬)(1976)と『Better By Far』(ベター・バイ・ファー)(1977)。キャメル(Camel)の来日コンサートでも、トレードマークのベンダーを駆使したクネクネしたソロを展開していましたね。


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 商業的には失敗だったColosseum IIですが、全盛期のBBCライブ映像を見ると、まるで第二期リターン・トゥ・フォーエヴァー(Return To Forever)みたいで、鼻血タラ~です。ムーアの曲紹介のあと、「War Dance」から「The Inqusition」が畳みかけるように演奏されると感動の嵐・・・! ムーアのアコギの速弾きも真骨頂ですね。

 友人のNTさんなどは「マクラフリンと違って、ムーアはくるくる回るから、見てる方も目が回りそうだな」なんて茶化してました。それに、エイリーに至ってはハモンド、フェンダー・ローズ、ソリーナ・ストリング・アンサンブル、ミニムーグ、アープ・オデッセイに囲まれて恍惚の表情です。

 まぁ、そんな絵を見てよだれを垂らす私こそ、社会的不適格者の烙印を押されそうですが(笑)。よい子の皆さんは、決してこの道に踏み込まないようにね。


clolive.jpg



Gary Moore - guitars, vocals
Jon Hiseman - drums, percussion, producer
John Mole - bass
Don Airey - Grand Piano, Fender Rhodes, Hammond organ, Minimoog, ARP Odyssey, Solina String Ensemble





 さて、音楽夜話も何とか70話に届きました。根気のない私にしては、よくぞここまで続いたと思います。何とか、100話迄は続けたいとは思っています。

 次回は、ゲイリー・ムーアとメロウ・キャンドル(Mellow Candle)を結ぶ糸。そして、『メロウ・キャンドルの光と影』と題して、お送りします。期待しないでお待ちください(笑)。

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 音楽ネタを中心とした雑記帳です。

 60年代後半から70年代にかけてのワールドワイドなロック、ポップス、プログレ、アシッド、サイケ、フォーク、ジャズロック、ジャズなどの話題を主に、ひっそりメモってます。

 それぞれの記事はその時々のフィーリングで書いていますが、基本形はある曲をきっかけに感じた雑感が題材になっています。

 私は単なる音楽愛好家ですので、記事に関しては、思い込みや勘違いがたっぷりあることかと思います。その点はご容赦願います。もし、お気づきの点があれば、ご指摘下さい。

 個人的に思い入れのあるものを主に綴っていますので、マイナーかつ気まぐれなセレクション、お許し下さい。

 それでは、今宵の音楽夜話におつきあい下さい。

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