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第93話  Don "Sugarcane" Harris, Jean-Luc Ponty, Nipso Brantner & Michał Urbaniak  『New Violin Summit』 (1972) Germany

今夜の一曲  Valium


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◆以下の設問に答えよ◆

問題1;ロックのバンド編成にバイオリンが導入されるようになった背景は何か?
問題2;ロック界におけるバイオリンの巨匠(マエストロ)を挙げなさい。 
問題3;ロック界において、バイオリニストであることの長所は何か?
問題4;ロック界に初めてバイオリンを導入したのは誰か?
問題5;ロック史におけるイースト・オブ・エデンの業績を評価せよ。
(各20点 計100点)

<前編>

 まぜっ返すようですがね、正直なところ問題4の答は、あってないようなものでしょう(笑)。その理由は、ロックの範疇(はんちゅう)を定義づけることが難しいからです。音楽のジャンル分けなんて、そんなものでしょう。

 あるバンドがバイオリニストをメンバーに据えているからと言って、そのバンドが果たしてロック・バンドなのかどうか、グレイ・ゾーンの場合もあるでしょうし。それに、アルバム内の曲想にバラエティがあれば、ロックっぽい曲にバイオリン演奏がなくて、他ジャンル臭ぷんぷんの曲でバイオリン演奏が聴ける、といったケースもあるでしょう。

 これまで例に挙げてきたバイオリンの巨匠たちは、意図したわけではないにせよ、ほとんどが1970年代に活躍したアーチストでした。もっと時代を遡ってみると、ロック系のどんなアーチストがバイオリンを使ってきたのでしょうか。


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 第89話The Beatles『Revolver』(1966)で触れましたが、バッキングとしてのストリングスの導入はビートルズの「Yesterday」(1965)まで遡ります。でも、これはロックと言うより、あくまでも室内楽タッチのラヴ・バラード。

 「Eleanor Rigby」(1966)にしても、弦楽器が楽曲をリードするというより、サポートの意味合いが強かったですね。以降、ロック・バンドがオーケストラ・パートの一部としてストリングスを起用する例も、枚挙にいとまがありません。

 ただ、純粋なロックの文脈の中、積極的なリード楽器としては・・・と考えると先駆者が誰だったのかは気になるところです。

 当然、バイオリニストを起用した他ジャンルの音楽はいくらでもあります。たとえば、ケイジャン、ブルーグラス、ジャズ、カントリー、ブルース、ケルト音楽などなど。


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 ジャズにおけるバイオリンの歴史も長い長い。ロック人から見たジャズ・バイオリニスト筆頭の一角はジャン・リュック・ポンティ(Jean-Luc Ponty)あたりでしょうが、彼も60年代初期から息の長い活動をしていますよ。

 ジャズ・バイオリニストと言われて頭に浮かぶのは、やはりステファン・グラッペリ(Stephane Grappelli)あたり? 他にも、巨匠と言われたのが、スヴェン・アスムッセン(Svend Asmussen)、ジョー・ヴェヌーティ(Joe Venuti)、スタッフ・スミス(Stuff Smith)あたりかな。

 個人的に好きなのは、もっと新しいところでノエル・ポインター(Noel Pointer)だったりする。渋いところでは、ジャンゴ・ラインハルト(Django Reinhardt)と共演したクラシック→ジャズ畑のミッシェル・ワーロップ(Michel Warlop)も忘れられません。

 デューク・エリントン(Dule Ellington)が企画した『Jazz Violin Session』(1963)がスポットを当てたのはStephane Grappelli、Svend Asmussen、そしてペット兼務のRay Nance。


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 そんな流れもあってか1966年9月、スイスのバーゼル公演を捉えた『Violin Summit』では、エリントンの「 It Don't Mean A Thing」が熱演されました。Stephane Grappelliを中心に、Stuff Smith、Svend Asmussen、Jean-Luc Pontyが一同に会した名演の興奮を、余すこと無く伝えてくれる名盤。ちなみにピアノはケニー・ドリュー(Kenny Drew)さま。

 忘れてはならないのが、ロック・サイドから語るに燦然と煌めく『New Violin Summit』。1971年11月、ドイツのベルリンにおける公演収録となっています。こわ~いメンバーが揃ってますよ。

 Jean Luc Ponty、Michal Urbaniak、Don "Sugarcane"”Harris、Nipso Brantnerの四人のバイオリニスト+Robert Wyatt(ds)、Terje Rypdal(g)、Neville Whitehead(b)、Wolfgang Dauner(key, SE)。

 ※ロバート・ワイアット「ステージではドラムがとんでもない所に置かれていて、バイオリンの音が聞こえなかった。悪夢だよ。」(Wrong Movements; A Robert Wyatt Historyより)


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 しっかし、考えてもみれば、ワイアットはソフツを脱けてアヴァン・サイケの真骨頂『End of an Ear』(1971)のリリース直後。同作にはホワイトヘッドも参加していたし、ダウナーはユーロ・アヴァン・サークルにどっぷり。このリズム陣+αをバックに四人のバイオリニストを配するクソ度胸ある人物って一体、何者・・・?

 しかもだよ、一見まともそうに見えるポンティですら、フリー・ジャズ作『Open Strings』(1971)をレコーディングしたばかり。こうした符牒を考え合わせれば、鬼が出るか、蛇が出るか、悪霊に取り憑かれるか、魔性の者に魅入られるかだ。

 ジャズ+サイケ+アヴァンギャルドの地獄の闇鍋がぐらぐら煮え立つような、そんなイベントに、そもそも誰が金を注ぎ込むのか。今では考えられないような悪しき良き時代だぜ。

 実は、仕掛け人はヨアヒム・ベレント(Joachim E. Brendt)。MPS-BASFレコードのプロデューサだった人。この男がイベントを企画し、一手に人選を担った。四人のバイオリニストに声をかけ、サポートのメンバー集めに狂走した。


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 そんな流れでワイアットに白羽の矢が立つ。リピダルにしても、透明感あふれる栄光のECM時代前夜だった。当時はまだまだ熱にうなされるように、サイケ発、ジャズ・ロックとフリー・ジャズの狭間を行き来していた。

 ベレントの気まぐれはワイアットらにとっては魅力的なオファーと映り、イベントに向けてメンバーたちを突き動かす。10月末から本番の11月7日にかけて、ワイアットはハリス、ダウナー、ホワイトヘッドらと、ドイツ短期ツアーに出る。たとえば、11月4日にはハリス、ダウナー、ホワイトヘッド、ワイアット、リピダル(フォルカー・クリーゲル?)らと怪しいギグに走っている。

 抜け目ないベレントのおかげで、こうして二枚組アルバムとしての記録が残っているんでしょう。何はともあれ、感謝・感謝ですね。

 さてさて、ジャズに限らず様々なカテゴリーで重宝されてきたバイオリンの音色。当然ポップスにも流用されていきます。その勢いに乗って、ロック・サイドでもバイオリニストに熱いラヴ・コールが送られるようになっていく。


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 テクノロジーの進化はバイオリンのエレクトリック化とも呼応し、それはとりもなおさずロックの大音響に対抗するための追い風になりました。同時に、PAに通す前にエフェクターをかますのも容易になり、フェイザー、ワウ、リヴァーブ、ファズ、ディストーションなどの音の加工のみならず、ボリューム・ペダルとも連動してメリハリのある音宇宙が出現したのです。

 そんなわけで(どんなわけで?)次回はいよいよ問題4<中編>に突入ですよ。期待しないで待って頂ければ、僥倖(ぎょうこう)に巡り会うかもですよ・・・(笑)


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Don 'Sugar Cane' Harris - Violin
Jean-Luc Ponty - Violin
Michal Urbaniak - Violin
Nipso Brantner - Violin
Neville Whitehead - Bass
Robert Wyatt - Drums
Terje Rypdal - Guitar
Wolfgang Dauner - Keyboards



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第92話  Curved Air  『Phantasmagoria』 (1972) U.K.

今夜の一曲  Marie Antoinette


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◆以下の設問に答えよ◆

問題1;ロックのバンド編成にバイオリンが導入されるようになった背景は何か?
問題2;ロック界におけるバイオリンの巨匠(マエストロ)を挙げなさい。 
問題3;ロック界において、バイオリニストであることの長所は何か?
問題4;ロック界に初めてバイオリンを導入したのは誰か?
問題5;ロック史におけるイースト・オブ・エデンの業績を評価せよ。
(各20点 計100点)


 エディ・ジョブソンをネタに、祝!いよいよ第三問です。もっとも彼を引き合いに出すのは極端な例と言えるかも。というのも、バイオリニストとしてだけでなく、マルチプレイヤーであること、そしてテクとセンスの三拍子が揃っていますからね。

 友人のHanakoさんなどは、「エディは三拍子どころか、類い稀なる美貌と、お得意の変拍子を遭わせて五拍子ですよ。」とおっしゃっていました。なるほど(笑)。

 エディはキャリアのスタート時点で、ローカル・バンドのFat Grappleでプレイしています。持ち歌は当時のヒットのカバー曲が中心でした。余談ながら、レパートリーの一つがEast Of Edenの最大のヒット曲「Jig-A-Jig」だったというのは興味深い必然ですね。


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 当時のFat Grappleのレパートリーにはカーヴド・エア(Curved Air)や、フェアポート・コンベンション(Fairport Convention)の曲が含まれていました。エディのことなので、「打倒ダリル・ウェイ!」とか「デイヴ・スワブリック粉砕!」のハチマキ巻いて、驚愕のスーパー・プレイを披露していたのでしょう。

 そんな折、Redcar Jazz ClubでのギグにペアリングされたのがCurved Airでした。メイン・アクトがCurved Air、オープニング・アクトがFat Grappleという構成かな。ここでCurved Airはエディの天才を見抜いた・・・という出来すぎたシナリオ。

 振り返ってみると、もともとCurved Airはメンバーチェンジの激しいグループ。3rdの『ファンタスマゴリア』(Phantasmagoria)(1972)までに、ベーシストは二転三転。3rdリリース後には、グループ最大の危機に見舞われます。サウンドの要だったフランシス・モンクマン(Francis Monkman)とダリル・ウェイ(Darryl Way)を相次いで失ったのです。
※『Phantasmagoria』はSideAがウェイ、SideBがモンクマンが主導権を握った。

 さらにドラマーのフロリアン・ピルキントン・ミクサ(Florian Pilkington-Miksa)も脱退してしまいます。ツアーの途中でしたが、残されたソーニャ・クリスティーナ(Sonja Kristina)とマイク・ウェッジウッド(Mike Wedgwood)は、さっそくグループを蘇生させる方策に打って出ます。


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 ドラムスにはジム・ラッセル(Jim Russell)。フランシス・モンクマンの担当していたギター・パートにはグレゴリー・カービー(Gregory Kirby)、そして、モンクマン&ウェイのキーボードのパートとダリル・ウェイのバイオリンの穴を埋めたのが、エディ・ジョブソン(Eddie Jobson)だったのです。

 こうしてツアーを成功裏のうちに終えます。そして満を持してリリースされたのが『エア・カット』(Air Cut)(1973)。

※2008年のBelle Antique盤CDのObiには「'73、ダリル・ウェイの後釜として、当時17歳だったエディ・ジョブソンが加入、美貌と技巧(微妙に韻を踏んでますね)を兼ね備えた天才の記念すべきプロ・デビュー作品が、国内プレス・オリジナル紙ジャケットで遂に登場!」って書いてありましたね。

 Curved Airを新しい魅力で甦らせたエディですが、彼の超然たる魅力のとりこになった男が、ここにまた一人。ロキシー・ミュージック(Roxy Music)のブライアン・フェリー(Brian Ferry)です。エディの神がかり的なプレイに感銘を受け、フェリーはエディに自分のソロ作への協力を願い出ます。


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 そこでエディはフェリーが望んだ以上の活躍を見せました。楽器演奏のみならず、作曲・アレンジを含めて・・・

 もともとエディの姉(妹)とフェリーの姉(妹)とが同じ大学のルーム・メイトだったという縁もあったようですが、そうでなくともフェリーはエディの実力に横恋慕した末のヘッド・ハント。

 しかし、エディのロキシー加入は出血を伴いました。それはイーノ(Eno)の脱退です。正確に言えば、イーノとフェリーとの間には確執があり、「イーノはフェリーに解雇された」という表現の方が正しいかもしれません。

 結果として、エディはロキシーでも面目躍如。キーボードとバイオリンを完璧にこなしただけではありません。フェリーにとっては、これまでステージで演奏してきたピアノ演奏をエディに任せる事で、自分がフロントマンとしての役割に集中できるというメリットがありました。かくしてロキシーは快進撃。
Go, Go, Go!


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 エディはロキシー以外でも、各方面で引っぱりだこ。クリムゾンの『Live In USA』に関しては先に触れた通りですが、それ以外にも、フィル・マンザネラ(Phil Manzanera)の『ダイヤモンド・ヘッド』(Diamond Head)。これは74年12月 ~ 75年1月録音。ザ・フー(The Who)のベーシスト、ジョン・エントウィッスル(John Entwistle)の『マッド・ドッグ』(Mad Dog)これは75年2月リリース。この時期はロキシーの活動と並行して大車輪の活躍。
Go, Go, Go, Go!

 そんな折、前座Roxy Music、メイン・アクトMothers of InventionのギグでFrank Zappaにツバつけられるわけですね。ロキシーの活動が頓挫した時、エディは次の活動の場を探す必要に迫られました。勿論、引く手あまた。エディはプロコル・ハルム(Procol Harum)からのオファーを蹴ってZappaに合流。

 後は端折りますが、UKを経て参加したジェスロ・タル(Jethro Tull)の『A』(1980)(実際にはイアン・アンダーソンのソロ名義がグループ名義になるという顛末)も聞き所満載でしたね。

 その後、エディは短期間ながらも、イエス(Yes)のメンバーに名を連ねます。丁度『ロンリー・ハート』(90125)(1983)録音後、トニー・ケイ(Tony Kaye)が一時イエスを離れた時期に当たります。


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 エディは、結局トニーとのダブル・キーボードをよしとせず、レコーディングにもライヴにも参加することなく、イエスを離れます。今となってはプロモ・ビデオでご尊顔が確認できるくらいです。

 エディは、栄光のキャリア街道まっしぐら。こうした弱肉強食の世界で成功するためには図抜けたセンスや技量をはじめとする不可欠な要素は幾多。でも、彼がことさら重宝されたのはバイオリンがプレイできた事に加え、テクとセンスを持ち合わせたマルチプレイヤーだった点につきます。

 バイオリニストというのは、ピアノなどのクラシック楽器を導入楽器としている人がほとんどなので、クラシックの素養もあるし、マルチプレーヤーとしての資格十分というわけです。

 実際、サイモン・ハウス(Simon House)はサード・イヤー・バンド(Third Ear Band)、バークレー・ジェームス・ハーヴェスト(Barclay James Harvest)、ホークウィンド(Hawkwind)、デヴィッド・ボウイ(David Bowie)、マイク・オールドフィールド(Mike Oldfield)と引く手あまたの大奮闘。


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 他にも例をあげるならば、ベーシスト&バイオリニストのリック・グレッチ(Rick Grech)。彼の場合は、ファミリー(Family)やブラインド・フェイス(Blind Faith)、トラフィック(Traffic)などで活動。

 もともとバイオリニストの人口はギター・プレイヤーとかキーボード・プレイヤーに比べて多くありません。そうした意味で、人材バンクに登録している奏者自体に限りがある。それゆえ、ニーズがある限り失業する心配は他のプレイヤーに比べて少ない、という長所はあるかもですね。

 ここで、思い出すのが、ロックンロール・サーカス(Rock and Roll Circus)。ジョン・レノン(John Lennon)、エリック・クラプトン(Eric Clapton)、ミッチ・ミッチェル(Mitch Mitchell)、キース・リチャーズ(Keith Rchards)という錚錚(そうそう)たるメンツを集めたスーパー・グループ、ダーティ・マック(The Dirth Mac)(1968)が編成された時のこと。

 何らかの必然があって集まったメンバーたちですが、「ギターの席は決まっているから、あんたはウチにはいらないよ」的な事が起こっています。キース・リチャーズは、勿論ギタリストですが「ギタリストはいらないから、バンドに入りたいんだったら他の楽器に回ってね」って感じ?


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 そこで、彼はベースに回ることになる。他の楽器が出来るなら、それはそれで雇用は確保されるってわけですね。

 ま、こうしたことが起こりにくいのがバイオリニストの世界でしょう。とりわけ、実力とセンスがありさえすれば、バイオリニストは、実に重宝される花形ポジションなわけです。

 ってなわけで、先を急ぎましょうか。Go, Go, Go, Go, Go!


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Sonja Kristina – lead vocals, acoustic guitar
Francis Monkman – keyboards, electric guitar, percussion
Florian Pilkington-Miksa – drums, percussion
Darryl Way – violin, keyboards
Mike Wedgwood – bass, vocals, acoustic guitar, electric guitar and percussion



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第91話  King Crimson 『Live In USA』 (1975) U.K

今夜の一曲  Lament


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 第三問を解く糸口はエディ・ジョブソン(Eddie Jobson)にありそうです。けれども、キング・クリムゾン(King Crimson)の『Live In USA』を酒の肴に、デヴィッド・クロス(David Cross)ならぬエディ・ジョブソン(Eddie Jobson)を語るのは反則技でしょう。なので、その前段として、今回の夜話ではクロスに「清き同情票」を投じたいと思います。

 『Live In USA』のスタジオ・ワークでオーバー・ダブを引き受けたのは、エディ。既にクリムゾンを脱退していたクロスのピンチ・ヒッターというわけです。

 ではなぜエディに?恐らくフリップ、或いはE.G.Recordsのマネージメント・サイドの意向で、ウェットンと共にロキシー・ミュージックでプレイしていたエディに声がかかったのでしょう。私の推測ですが、E.G.RecordsのディストリビュートがRoxy Musicが所属するIsland Recordsだったという関連もありそうです。

 でも、エディの演奏に差し替えるほどの理由とは何だったのか。これについては、2005年のDGMからの有料配信(Ronan Chris Murphyによるミックス)で明らかになりました。そこには何とエディのオーバー・ダブのないオリジナル音源が収録されていたのです。
※翌年、『The Collectable King Crimson Volume One』(2006)の「Live In Asbury Park, NJ (1974)」としても販促ルートに乗る。


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 確かにクロスはハードなツアー日程に疲れ果てていました。しかし、彼のプレイが集中力を欠いていたとか、精彩に欠けていたとまでは言いたくありません。しかし、『The Greatest Deceiver 1973-1974』のライナーには、クロスの生々しい証言が収められています。(Jul. 17.1992)

 クロスはもともと、「バルトークとコルトレーン、それにビートルズとの狭間には世界を変えるほど人々を夢中にさせる音楽がある」と信じて、ロックの世界に飛び込んできました。

 クロスの証言を続けましょう。「私のロック・バイオリンのプレイはフリップのギターに渡り合っているうち、着実に進歩した。ただ、ギグを重ねるにつれ、ウェットン=ブラフォードのリズム・マシーンが突出してきて、ますます騒がしいものになってきた。」

「ショーの半分はElectro-Voice社のモニター・システムに耳を凝らし、フリップが何を弾いているか聴くために必死だった。あとの半分は大音量の渦の中で、どれが自分の音なのかを懸命に捉えようとしていた。」


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「そんなわけで、私の技量は次第に低下していった。とにかく音がうるさすぎた。テンポはハズさないまでも、調子っぱずれのまま。私が何を言っても大抵無視される。特にビルとジョンはロックやジャズ以外のことには耳を貸そうとしなかった。」

「互いの音に耳を傾ければ素晴らしい音楽が生まれるが、相手の音を聴こうとしなければ結果は目に見えている。」

「ロックとは何か、十分にわかってきた。グループ演奏では互いのエゴを排除して音楽そのものに主導権を与えるべきだが、もしロックでそんなことをやったら君の存在は無に等しくなる。」

「クリムゾンでの活動はエキサイティングで楽しかったけれども、他のメンバーの共通の言語を私が理解できなかったことや、ギグの大音量のせいで、私はとことんフラストレーションがたまってしまい、身も心もズタズタだった。」


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 こうした証言を読むと、CrossがまさにCross(形;不機嫌な、怒りっぽい、~に腹を立てて)になるのも無理からぬことでしょう。

「『Red』(Nov.1974)のレコーディングに先立つ全米ツアーが予定された時、私はツアーに同行しないことにした。その結果、三人は私抜きで『Red』のレコーディングに臨むことになった。」

 当初ミックス・ダウン前のオリジナル音源では、クロス自身のプレイがフリップ、ブラフォード、ウェットンという凶暴なトリオの音圧に没した感があったのでしょう。それが、2005年のローナン・クリス・マーフィーの手がけたリミックスにより、クロスのプレイの存在感は増したものの、クロスの証言を知る身にとっては、痛々しい思いが募ります。

 1974年の『Live In USA』リリース時には、クロスは既にクリムゾンを脱退していました。それがために、エディにお呼びがかかったわけです。


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 エディが関わった曲は「Larks' Tongues In Aspic Part II」と「21st Century Schizoid Man」にバイオリンで、「Lament」にはエレピで、合計三曲に関与しました。エディは後に、凶暴な三人に対して繊細な楽器で対決せねばならかなかったクロスに、同情のコメントを寄せています。

 『Live In USA』のオリジナル・アナログ・リリースはThe Casino Arena, Asbury Park, New Jersey(June 28 1974)公演の演目を中心として、「21st Century Schizoid Man」についてはThe Palace Theater, Providence, Rhode Island(June 30, 1974)の演奏と差し替えられていました。

 その後、『30th Anniversary Remaster版』(2002)では、「Fracture」「Starless」が追加されます。先に触れた2005年ミックスでは曲順が修正され、「21st Century Schizoid Man」も晴れてAsbury Parkバージョン(June 28 1974)に差し戻されたのに加え、エディのオーバー・ダブも一切、排除されました。

 現時点では『40th Anniversary Series』 (2013 Mix)が最終版となっています。内容は従来のミックスを網羅しながら、ハイレゾ・サウンド(24bit/96kHz)が提示された点がウリ。でも、『USA』はサラウンド・ミックス未収録(涙;)


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 考えてもみれば、『Live In USA』は長らくCD化の波に乗りませんでした。当時にあってはライブ盤と言えば二枚組は普通だったし、いかにも中途半端なシングル・アルバム仕様の実況盤という印象がぬぐえなかった。ファンへの求心力はひとえにクリムゾンにあってはレアなライヴ体験というだけだったのかも。

 レアな擬似ライヴ体験とはいえ、消化不良の感は否めず、かつては$7とか$8とかの安価なステッカー・プライスを目にしてもスルーしてきたのに、原盤は年々レア度が増加。ですから、満を持しての2002年CD化はファン心理をうまくついたものと言えます。

 結局その後、トラック割りが変わったり、演目が追加されたり、曲順が移動したり、他日の演奏が当日のものへと先祖返りしたり、オーバー・ダブが排除されたり、フェード・アウトされていた曲が延長されてコンプリート収録になったり、DVDがバンドルされたりと、このあたりはフリップの確信犯ぶりが突出していますね。「偉大なる詐欺師」とはフリップのことだったのです。


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 自称クリムゾン通の『Live In USA』裏聴きテクをご紹介しましょう。

①「Walk On...No Pussyfooting」冒頭の「Brudford!」「Fripp!」の気色悪い嬌声を堪能する。
②「Asbury Park」における「Play some ENO!」のわがままリクエストに拳を握りしめて頷く。
③「Lament」で「Who made your violin?」と叫ぶオネエさまに微笑む。Steve Hoffman Music ForumsのThose "famous" audience members on live lps who will be forever anonymous.....(Aug 25, 2014 )(永遠に匿名であり続ける、ライヴ盤の知る人ぞ知る「名」オーディエンスたち)でも取り上げられてますよ。
④「Easy Money」が何故FOされたのかの理由を推測して「フリップもやはり人の子だった」とニヤつくこと。
⑤アンコール前の観客の拍手をミックスごとに聞き比べる分析すること。
⑥終演後のランナウト・グルーヴのエンドレスな狂騒に揉まれ、ラリパッパの発狂寸前になること。
⑦スリーヴ・デザインの謎に独善的な解釈を加えること。


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 あ、デザインはニコラス・デ・ヴィル(Nicholas De Ville)。彼のデザインは、Roxy Musicの諸作『Roxy Music』(1972)『Stranded』(1973)『Country Life』(1974)『Siren』(1975)。それ以外ではSparks『Kimono My House』(1974)『Young Persons' Guide To King Crimson』(1975)『801 Live』(1976)『UK』(1978)などなど。

 久々にクリムゾン聴きまくると、またまたあの心地よい悪夢(One More Red Nightmare)にうなされそうです。そこに登場するのはあの久米宏似の偉大なる詐欺師(Great Deceiver)でしょうか。あ、これは例のwikiネタでしたね。今ではフリップ翁のニセ画像は(残念ながら)修正されてしまいました(笑)。


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Bill Bruford - Drums, Percussion
David Cross - Violin, Viola, Mellotron, Electric Piano
Robert Fripp - Guitar, Mellotron
John Wetton - Bass Guitar & Lead Vocal


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ticca

Author:ticca
 音楽ネタを中心とした雑記帳です。

 60年代後半から70年代にかけてのワールドワイドなロック、ポップス、プログレ、アシッド、サイケ、フォーク、ジャズロック、ジャズなどの話題を主に、ひっそりメモってます。

 それぞれの記事はその時々のフィーリングで書いていますが、基本形はある曲をきっかけに感じた雑感が題材になっています。

 私は単なる音楽愛好家ですので、記事に関しては、思い込みや勘違いがたっぷりあることかと思います。その点はご容赦願います。もし、お気づきの点があれば、ご指摘下さい。

 個人的に思い入れのあるものを主に綴っていますので、マイナーかつ気まぐれなセレクション、お許し下さい。

 それでは、今宵の音楽夜話におつきあい下さい。

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