第85話  Bill Evans Trio 『Portrait In Jazz』 (1959) U.S.

今夜の一曲 Blue In Green


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 学生時代に録りためたカセット・テープ(死語?)を取り出してみて、思わず苦笑いしてしまった。写真のようにA面がウィントン・ケリー(Wynton Kelly)の『ケリー・ブルー』(Kelly Blue)(1959)、B面がビル・エヴァンスの『ポートレイト・イン・ジャズ』(1959)だったからだ。エヴァンスにしてみれば、どうしてケリーの方がA面なのだ!と怒り心頭だろう。


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 1959年3月2日、ビル・エヴァンスはマイルス・デイヴィス(Miles Davis)に呼ばれてセッションに参加した。ところが、驚いたことに、自分以外にピアニストがもう一人いたという。それがウィントン・ケリーだった。マイルスは曲によって二人を使い分けようとしたのだが、それをエヴァンスにもケリーにも伝えてはいなかった。

 しかも、エヴァンスの方が先にスタジオに着いていたにも関わらず、マイルスが最初の曲に起用したのはケリーの方だった。そして、ケリーがスタジオを去った後、ようやくエヴァンスを迎えての録音が始まったと言う。
※この日、ケリーは「Freddie Freeloader」を、エヴァンスは「So What」「Blue In Green」を録音した。

 これがあの歴史に残るマイルスの『Kind Of Blue』(1959)セッションの初日だった。ところで、何故マイルスは「Freddie Freeloader」においてエヴァンスを起用しなかったのか・・・どうやらマイルスは、エヴァンスの演奏がブルージーな曲にはそぐわない、と踏んでいた節がある。

 キャノンボール・アダレイ(Cannonball Adderley)の証言によれば、「マイルスはエヴァンスを迎えてから、ハードなアプローチをソフトに変えた」「エヴァンスは他の部分では素晴らしかったが、ハードな演奏は無理だった」と手厳しい。


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 エヴァンス自身の回想によると「ポール・チェンバース(Paul Chambers)やジミー・コブ(Jimmy Cobb)は感情を抑えて演奏せねばならず、よく苛立っていた」らしい。

 勿論、エヴァンスの演奏がスイングしないわけではない。だが、よりスインギーなグルーヴを求めて、マイルスはケリーを起用した。マイルスが求めていたのは、エヴァンス流のスイング感ではなく、よりスインギーなサウンドだった・・・この日は、エヴァンスにとって、屈辱感にまみれた日となった。

 だが、忘れてはならないのは、『Kind Of Blue』発売(1959年8月17日)の4ヶ月後、エヴァンスはあの傑作『Portrait In Jazz』を録音する(1959年12月28日)。本作はエヴァンスのリヴァーサイド(Riverside Records)からの第3作。ここで初めてジャケットに"TRIO"の文字が踊った。どうやらこのクレジットをプロデューサーのオリン・キープニューズ(Orrin Keepnews)に所望したのは、エヴァンス自身のようだ。

 自ら書いたライナー・ノーツには、「三人の音楽」であることを強調したかった、とある。リード楽器としてのピアノを支えるリズム・セクションという概念を打ち破り、互いのプレイのダイアログを大切にする手法を導入する。


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 わずか数時間のセッション。しかもギャラは三人でわずか250ドル程度。そのアルバムがモダン・ジャズを代表する傑作となったのは歴史の皮肉か。

 当時のギャラはその程度のもので、マイルスの『Kind Of Blue』ですら、リーダーのマイルスが129ドル36セント、キャノンボール・アダレイ、ジョン・コルトレーン、ウィントン・ケリー、ビル・エヴァンスらが一律64ドル67セント。ポール・チェンバースとジミー・コブは、楽器の運搬費用として2ドル上乗せされて66ドル67セントだったと言う。

 ヴィレッジ・ヴァンガード(Village Vanguard)に出演するミュージシャンのギャラも、よほど有名なミュージシャンでない限り、一人あたり毎晩3~4回のステージで、たった10ドルというありさまだった。(1950年代後期から1960年代初頭)
※参考;『ビル・エヴァンスについてのいくつかの事柄』中山康樹(河出書房新社)

 もともとジャズの世界では地位の低かったピアノ・トリオ。ジャズ・クラブでトランペットやサックスの火の出るような演奏の合間に、観客が火照った身体を冷ますだけの役割だったカクテル・ピアノ・サウンド。それが大きく変貌していくのはこれからだった。





Bill Evans – piano
Scott LaFaro – bass
Paul Motian – drums

Rolling Stone誌電子版によると、本作をプロデュースしたオリン・キープニューズ氏が2015年3月1日、カリフォルニア州の自宅で逝去された。キープニューズ氏はリヴァーサイドの創始者の一人で、音楽プロデューサー。R.I.P.
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